「対馬丸」歴史語り継ぐ 沖縄と奄美の児童生徒ら参加 平和学習交流事業 宇検村
2023年08月20日
地域
太平洋戦争中、沖縄からの疎開船「対馬丸」が米潜水艦に攻撃され、多くの犠牲が出た事件を学ぶ平和学習交流事業が19日、宇検村で行われた。沖縄県と同村、大和村、瀬戸内町の小中学生と保護者ら計60人が参加。多くの遺体が流れ着いた同村の船越(ふのし)海岸で慰霊碑に手を合わせ、恒久平和への誓いを新たにした。
学童や一般疎開者、船員など計1788人を乗せた対馬丸は、1944年8月21日に沖縄県の那覇港を出港。22日、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没した。判明しているだけで学童784人を含む1484人が犠牲になったとされている。
一部の生存者や遺体は宇検村、大和村、瀬戸内町に漂着。船越海岸には地元住民らの要望により2017年に慰霊碑が建てられ、これをきっかけに翌18年から同事業が始まった。
参加者らは船越海岸で、生き残った元学童や遺体の回収・生存者の救出に当たった奄美の人たちの証言を音読。かん口令により、事件について話すことができなかった時代背景を踏まえながら、当時の状況に思いをはせた。慰霊碑には代表児童生徒が献花し、全員で黙とうをささげた。
後半は同村の元気の出る館で、参加者らが平和な未来の実現に向けて意見を交わした。沖縄県南風原町の北丘小5年、上江洲太郎君(11)は「もし自分が乗っていたらと想像して悲しくなった。家族や友達にも伝えて戦争をなくしたい」、田検中2年の碇元陽衣さん(13)は「事件のことを詳しく学ぶことができて良かった」と話した。
対馬丸事件から今年で79年。当時を知る人は少なく、7月29日には、元学童で語り部として活動していた平良啓子さんが88歳で亡くなった。沖縄県子ども生活福祉部女性力・平和推進課の大湾朝貴副参事(50)は「語り部が減少する中、(同事業が)歴史を知り考えるきっかけになれば。一人一人が感じたことを周りにも話していってほしい」と語った。