島で生きる① 「島に帰りたいけど仕事がない」 宇検村の栄雄大さん
2021年03月23日
地域
3月は旅立ちの季節。今春、島を離れる人たちは、いつか奄美に帰ってくるだろうか。新型コロナウイルスの影響で、世界中が時代の大きな転換期を迎えている。島で働くとは、島で稼ぐとは、島で生きるとは―。多くの人々が今、模索している。一度は島を離れ、再び「奄美に帰る」という決断をした若い世代に、ターニングポイントとなった出来事や、島暮らしの魅力について尋ねた。
■ 「仕事がなければ創り出す」 栄雄大さん(26)―宇検村地域おこし協力隊
島出身の友人たちが本土でよく口にする言葉だ。やりたい仕事が奄美にない。奄美に帰るなら、島にある仕事を選ぶしかない。それを懸念して島へ帰るのに二の足を踏む│。昨年まで福岡県で働いていた宇検村出身の栄雄大さん(26)も奄美に帰ろうと決めたとき、その壁にぶつかった。道を開いたのは「地域おこし協力隊」という制度だった。
芦検集落の出身。高校進学と同時に村を出て、大学進学で島も離れた。将来は奄美で働きたいと思っていたわけでもなかった。しかし、新型コロナが人生の転機となった。
コロナが流行し始めた昨年春。言語聴覚士として病院に勤務していた。感染リスクを抑えるため自宅で過ごす時間が増え、自分の将来や、やりたいことについて考えるようになった。
振り返れば、どこで暮らしていても常に村で経験した生活が頭にあった。当時勤めていたのは、地域に根差した医療に力を入れている病院。働くうちに都市で暮らす患者の孤独さが見えてきた。介護サービスが充実していても地域で孤立して暮らす都市生活と、サービスは足りなくても顔なじみで支え合う集落の暮らし。どちらが幸福なのだろうと気になった。
年々減り続ける村の人口。同級生が少ない子どもたち。世の中にはこんなに多くの職業があるのに、村では見る機会がないために進路の選択肢すら狭められている。将来村に帰ってきたいと思う子どもたちは、どのくらいいるのだろう。そんなことを思うようになっていた。
コロナ禍となり、家に居ながらオンラインでやれることがずいぶん増えた。ある日気付いた。「この暮らし、都会にいてもシマにいても同じだな」。30歳までは都会で頑張る、と漠然と自分に課していたタイムリミットも、コロナの時期だからこそ、今、村でやれることがある気がして、気持ちが急速に村に傾いた。
しかし、宇検村で働くにはどうすればいいのだろう。アンテナを張り情報収集するうちに、地域おこし協力隊の仕事を知った。
地域おこし協力隊は、都市部から過疎地域に1~3年程度移住し、地域の課題を探りながら、それを解決するまでの道筋をサポートする制度。活動に要する経費は1人上限440万円支給される。出身者も対象となる。やりたかったことと制度の主旨がピタリと当てはまった。村での募集を待ち、帰島を決めた。
集落を歩くと、昼間はこんなに人がいないのかと驚いた。今の自分にできるのは、お年寄りの声を聴くこと。まずはそこからだ。夢は村内での起業。島にある職業だけにとらわれずに自分で創る。そんな姿を村の子どもたちにも見ていてほしいと思っている。働く大人たちが生き生きとしている村には、きっと人が帰ってくる。そう信じている。
【プロフィル】
さかえ・ゆうだい 1994年生まれ。宇検村芦検出身。田検中、大島高、熊本保健科学大卒。言語聴覚士。2021年2月から宇検村の地域おこし協力隊。