ブラジル移民 故益岡さん宇検村部連に家族ら納骨

2019年12月10日

地域

豊さんが眠る共同納骨堂に手を合わせる八重子さんら=8日、宇検村部連

豊さんが眠る共同納骨堂に手を合わせる八重子さんら=8日、宇検村部連

 移民として1975年にブラジルに渡り、今年2月に70歳で亡くなった益岡豊さんの家族らが奄美大島を訪れ、8日、豊さんの古里・宇検村部連に遺骨を納めた。初来島した妻の八重子さん(68)は「夫がよく話してくれた部連の豊かな自然を見ることができた」と目を細め、住民らは「ご家族の古里でもある。またいつでも来てください」と歓迎した。

 

 豊さんは10歳まで部連で育ち、家族で神奈川県に転居。早稲田大学を卒業後、群馬県前橋市の海外移民養成所を経て27歳でブラジルに渡った。4年後には農業者として独立。花き栽培に力を入れ、従業員を雇いながら2人の娘を育てた。在伯鹿児島県人会や奄美会、早稲田大OB会でも活躍したという。

 

 家族によると、普段は本が好きな物静かな人。酒の席では陽気になり、人を楽しませることが大好きだった。八重子さんは「人並に苦労もあったが、思い出は楽しいことばかり」としのんだ。

 

 宇検村誌によると、奄美群島のブラジル移民は1918(大正7)年に始まり、戦時中の中断を挟んで61(昭和36)年まで続いた。宇検村は群島で最も多い81家族419人が移住。移民100周年を迎えた2018年には当時の元田信有元村長ら訪問団が現地で2世、3世らと交流した。

 

 豊さんの遺骨は部連の共同納骨堂に納めた。納骨式には豊さんの同窓生でもある操悦治区長や元田元村長をはじめとする訪問団のメンバー、地域住民も駆け付けた。東京都在住の次女中村純子さんと2歳になる孫の諒ちゃん、妹の古谷照美さん、八重子さんの姉夫婦らも来島し、墓前に手を合わせた。

 

 操区長は「大阪の大学に在学中、上京して一緒に遊んだことを覚えている。来年の同窓会で会えるのを楽しみにしていただけに残念だが、ご家族には部連を新たな古里と思ってもらえれば」と話した。