対馬丸慰霊祭に40人出席/宇検村宇検

2018年08月27日

地域

対馬丸慰霊祭で献花する宇検集落の津田正廣区長ら=26日、宇検村宇検の船越海岸

対馬丸慰霊祭で献花する宇検集落の津田正廣区長ら=26日、宇検村宇検の船越海岸

 太平洋戦争中に米潜水艦に撃沈され多くの犠牲者が出た対馬丸の慰霊碑がある宇検村宇検集落の船越(フノシ)海岸で26日、集落主催の慰霊祭があった。集落住民や村関係者ら約40人が出席。犠牲者の鎮魂を願い祈りを捧げるとともに、事件の悲惨さを後世に語り継ぐ決意を新たにした。

 

 元田信有宇検村長は犠牲者への追悼の言葉の後に「今月亡くなられた翁長雄志沖縄県知事は昨年、新里米吉県議会議長は今年四月に、献花に訪れた。新たに生まれた交流を深め、今後は対馬丸事件を風化させることのないように協力して取り組んでいきたい」と話した。

 

 主催者代表の津田正廣宇検集落区長(67)は今月17日から19日にかけて村内であった第1回対馬丸平和学習交流事業に触れ、「沖縄から児童、保護者約30人と多数の参加があり、慰霊碑を建立した意義を強く感じている。後世に平和の尊さを語り継いでいく象徴として今後も慰霊祭を継続していきたい」と決意を語った。

 

 小学生の長女と出席した宇検集落青壮年団の福山勇樹団長(40)は「慰霊碑ができてから子どもたちも対馬丸のことを質問するようになった。建立に尽力した先輩たちとともに次世代に平和の尊さをしっかり伝えていきたい」と表情を引き締めた。

 

 対馬丸は1944年8月21日、学童や一般疎開者を乗せて沖縄を出港。22日、鹿児島県悪石島の沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。多くの遺体や生存者が同村に流れ着き、当時の村民が救助や埋葬作業に当たった。多くの遺体が流れ着いた船越海岸には昨年3月、慰霊碑が建立された。

 

 今月22日には沖縄県那覇市の対馬丸記念館で慰霊祭があった。新たに氏名が判明した2人が加わり、犠牲者の総数は1484人となった。