犠牲者の冥福祈る 「富山丸」遺族ら4年ぶり来島 奄美大島、徳之島

2023年04月21日

地域

供養塔に献花する遺族ら=20日、瀬戸内町古仁屋

太平洋戦争中、徳之島沖で米軍潜水艦に撃沈された輸送船「富山丸」の遺族らが19、20の両日、徳之島と奄美大島を訪れた。新型コロナウイルスの影響で来島は4年ぶり。地元関係者と祭事を行って犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。
富山丸は1944年6月29日早朝に瀬戸内町古仁屋港を出港。沖縄へ向け航行中に撃沈され、約3700人が命を落とした。当時、古仁屋の住民らは船を出して救援に向かい、乗船者の救助や看護に尽力した。
奄美大島には20日、全国各地の遺族ら21人が来島。同町古仁屋の森山公園で第57回戦没者供養祭があり、遺族と町などの関係者約40人が参列した。
鎌田愛人町長のあいさつ(代読)に続いて、富山丸の生存者だった三角光雄氏が建立した供養塔に献花し、高知県遺族会の江口文夫さん(79)、鹿児島県遺族会の野元幸一さん(75)が「島の皆さんに供養塔を守ってもらっている」「参列者を増やしていきたい」と謝辞を述べた。
19日は徳之島町亀徳のなごみの岬公園で第60回戦没者慰霊祭(同町主催)があり、遺族28人が参列。全員で黙とうをささげた後、高岡秀規町長、遺族の代表があいさつ。献花後は全員で「ふるさと」を合唱して犠牲者をしのんだ。
遺族最年長は父親の榮吉さんを亡くした関東地区遺族会の川南廣展さん(87)=東京都町田市=。「高齢化で解散する遺族会も出てきているが、遺族は家族のような存在。会の枠を越えて個々人でつながりながら参加を続けたい」と話した。