送金で復帰運動に貢献 島民団結の歴史語る 与路郷友会総会、敬老会

2024年02月26日

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与路島の復帰運動についても語られた名瀬在住与路郷友会総会と敬老会=25日、奄美市名瀬

奄美市名瀬在住の瀬戸内町与路島出身者でつくる名瀬在住与路郷友会の総会と敬老会が25日、同市名瀬の集宴会施設であった。喜入博一会長(70)は敬老会のあいさつで、奄美群島日本復帰運動の最中、与路島から奄美大島日本復帰協議会へ計2万3800円の送金があったことを紹介。資料によると当時、1万円以上を送金する個人や団体は少なく、出席者は復帰運動を後押しした先人の取り組みに思いをはせた。

 

与路島誌によると、奄美群島で復帰運動の断食祈願が始まった1951年8月、与路島でも学校に島民が集まり、断食を決行。しばらくして与路青年団代表が「与路島で何回断食しても見る人もいない。この時間に働いて、その資金を復帰協議会へ送金しよう」と提案し、島民も賛同。51年8月から52年3月までの計6回、送金を行った。

 

鎮西村与路分校(現・与路小中学校)生徒会では、夏休みを利用して塩を炊き、荒れ地を開墾してイモを植えるなどして貯めたお金のうち800円を、励ましの手紙を添えて復帰協議会へ届け、関係者を感激させたという。

 

喜入会長は「当時の教員の月給が2、300円で、米500グラムが5円ほど、都会と与路島との価格相場からしても、送金金額が当時いかに高額だったであろう」と振り返った。

 

郷友会総会と敬老会に出席した與新一さん(43)は「今は人口減が進む与路島にも復帰運動当時は多くの人が住んでいて、先輩方が貧しい中でも郷土愛や復帰を願う思いを原動力に活動していたという事実にエネルギーをもらった。島のつながりの強さを改めて感じた」と話した。

 

総会と敬老会開催は4年ぶりで、約40人が出席。総会では2020年度~23年度の活動報告などを承認し、敬老会では78歳~90歳の13人を祝った。