「あの日の記憶忘れない」 出身者しのび追悼慰霊式 阪神大震災30年

2025年01月18日

社会・経済 

鹿児島県人会連合会の追悼慰霊式で花を手向けて冥福を祈る関係者=17日午前10時すぎ、神戸市中央区の大倉山公園

兵庫県南部と淡路島を中心に6434人の命が奪われた1995年の阪神淡路大震災の発生から30年となった17日、被災各地で犠牲者への祈りをささげる鎮魂の集いが開かれた。神戸鹿児島県人会連合会(後村道男会長、会員約400人)の震災犠牲者追悼慰霊式は神戸市中央区の大倉山公園であり、奄美群島出身の遺族を含む約70人が白菊を手向けて出身者らの冥福を祈った。

 

震災では多くの鹿児島県出身者が被災し、38市町村の203人が犠牲となった。奄美群島出身者は阪神地区に多く移り住んでおり、震災で出身者を含む142人の関係者が亡くなったという。

 

後村会長(78)によると、1999年に公園内の「鹿児島県の森」に慰霊碑を建立。会員が毎月清掃し、毎年慰霊式を開催。震災から10年の節目に当たる2005年には亡くなった出身者の氏名を刻んだモニュメントを建てた。震災30年となった今年は、会員が描いた震災直後の絵画なども飾られた。

 

後村会長は追悼慰霊式で「あれから30年経過したが、私たちには後世に伝えていく義務がある。あの日の記憶を忘れてはいけない。1月17日は震災、防災について改めて考える日にしたい。力を合わせて頑張っていこう」とあいさつした。

 

追悼慰霊式には、奄美関係で沖永良部島2世の平植勝さん(85)と伊集院義房さん(77)・裕子さん(同)夫妻、徳之島2世の水野尊之さん(54)、徳之島町出身の永濱聖将さん(47)が遺族代表として参列した。

 

妹を亡くした平さんは「母親思いの妹だった。名前がモニュメントに書かれているので毎年、式に来ている。体が続く限り参加して妹が生きた証しを伝えていきたい」。建物の倒壊で知名町出身の両親の命を奪われた伊集院義房さんは「父は島の集まりが大好きで、母はとても優しい人だった。写真をいつも拝んでいるが、その中の両親は私より若くなってしまった」と故人をしのんだ。

 

水野さんは「徳之島町出身の父を亡くした。別々で暮らしていたが、震災の2日前に会いたいと父から連絡があり、久しぶりにいろんなことを話した。虫の知らせだったのだろうか」と話した。徳之島町亀津出身の永濱さんは「小学校に入る前に親と神戸に移り住んだ。震災で近くに住んでいた叔母を亡くした。直後は何が起きたか分からないほどの大災害だった。もう30年、まだ30年といった感じやね」と神戸の街を見渡しながら語った。