与論、「島立ち」からの転換 畜産の現場から

2019年01月03日

社会・経済 

餌をあげながら牛の表情を見る川上栄地さん=与論町朝戸、18年10月26日

餌をあげながら牛の表情を見る川上栄地さん=与論町朝戸、18年10月26日

  奄美群島最南端の与論島は人口5264人(2018年11月末現在)に対し、肉用牛の飼養頭数は5336頭(同年2月現在)で、人より牛が多い畜産の島だ。島内には小学校が3校、中学、高校が各1校あり、高校卒業後は、ほとんどの子が島を離れていく。

 

 与論では「島立ち」と言い、古里の島を離れ、やがて社会人となった時も、たくましく生きていく力を育むことを目的とした「島立ちの教育」の理念が島にはある。

 

 一方、若い世代を中心に島の人口が年々減っていく中、近年は「島立ち」を前提としない、あるいは「一度島を出ても、いずれは戻り島で活躍してくれる人材を育もう」といった機運も島内で広がり始めている。

 

 島の基幹産業である畜産業に焦点を当て、牛飼いとして働く青年や、牛飼いを夢見る少年を取材し、若者の「島立ち」、そして「島で暮らし働くこと」について考えた。

 

◆家業の牛飼い「今は誇り」 朝戸の川上栄地さん

 

 若手からベテランまで経験と技術に長けた牛飼いがそろう与論町の昨年の肉用牛共進会(ヨロン黒牛まつり)で、同町朝戸の川上まり子さん(58)の出品牛「しおり」がグランドチャンピオンに輝いた。

 

 川上家にとって初の快挙達成の背景には、東京農大を卒業後、さつま町の徳重和牛人工授精所で研修生として5年間、働きながら畜産を学び、昨年4月に古里の島に戻ってきたまり子さんの長男、栄地さん(28)の頑張りが大きいという。

 

 多感だった中学生の頃は親が牛飼いであることに「正直、誇りを持てなかった」という栄地さん。与論高校に進学し、自分の将来の進路と真剣に向き合い始めた時期から「家業を継ぐ」という意識が芽生えた。

 

 「父ちゃんや母ちゃんは仕事に誇りを感じ、やっていたと思う。自分も今は分かる。これからは死ぬまで与論で牛飼いをやりたい」と仕事への情熱を語った。

 

 栄地さんによると現在島にいる高校の同級生は3割程度。栄地さんのきょうだい(弟妹)3人も東京で社会人として生活しており、島に戻って働く20代は少数派だ。

 

 「学生の時に過ごしたが都会はやっぱり楽しい」と島に同世代が少ない現状に理解を示しつつ、「人と人との結びつきが強いところが与論の魅力。若い人がたくさん帰ってきてくれたら島も活気づいて、もっと楽しくなるのにな」とも話した。

 

 「島に戻って家業を継ぎ、一つは親孝行できた」と語る栄地さんは現在独身。「周りからは『もう一つの親孝行』も急かされてます」とはにかんだ。

 

◆夢は「与論で1番の牛飼い」 与論中の東祐樹君

 

 「与論牛の良さを日本中に広める牛飼いになりたい」―。昨年8月に与論町であった「でっかい夢語り大会」で最優秀賞に輝いた与論中1年の東祐樹君(12)の夢は、祖父や伯父のような立派な牛飼いになることだ。 東君は親の仕事の関係で引っ越しが多く、これまでに奄美大島や喜界島、沖永良部島、県外での生活も経験。昨年4月から古里の与論島に家族で移り住み暮らしている。

 

 祖父の牧市郎さん(77)は与論では名の知れた牛飼いで、東君が最も尊敬する人だ。祖父や伯父の下で手伝いをし、子牛が誕生した喜び、世話をする楽しさや大変さ、大事に育てた牛が死んでしまった時の悲しさも体験してきたという東君。

 

 牛飼いは苦労が多いにもかかわらず、祖父や伯父が「お酒を飲みながら、牛についていつも楽しそうに話している姿は本当に格好いい」と語る。

 

 そんな東君について祖父の牧さんは「祐樹は餌をやる時など牛の表情をよく見ている。心が優しく、牛の気持ちを理解できるから、いい牛飼いになる」と太鼓判を押す。

 

 中学校では「早く島を出て都会に行きたい」という友達もいる。転校を繰り返してきた東君は「与論は与論でいいところがたくさんあるのにな」と思う。自然の豊かさや、人が優しく、親しみやすいところが一番の魅力だと感じている。

 

 農大で畜産を学ぶため、現在は牛舎の手伝いをしながら勉強も頑張っているという東君。目標は「与論で1番の牛飼い」。「1番か、じぃじが生きているうちに頼むぞ」。牧さんに肩をたたかれ、笑顔でうなずいた。

 

牛飼いを目指す東祐樹君と、東君が尊敬する祖父の牧市郎さん=与論町茶花、18年11月7日

牛飼いを目指す東祐樹君と、東君が尊敬する祖父の牧市郎さん=与論町茶花、18年11月7日