大島高、再び甲子園へ① 初出場での健闘が土台に

2022年02月09日

スポーツ

2014年の選抜高校野球大会に初出場した大島。スタンドには多くの奄美関係者が詰め掛け声援を送った=同年3月25日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場

奄美市名瀬の県立大島高校が2度目となる選抜高校野球大会出場を決めた。「21世紀枠」で選出され、奄美群島が歓喜に沸いた初出場から8年。今度は、球児たちの聖地「甲子園」で躍動する先輩たちの姿にくぎ付けになった少年たちが、県大会、九州大会と勝ち進んで、夢舞台への切符をつかんだ。初出場からの軌跡を振り返る。(「球児の夢、島で結実」取材班)

 

■2014年春

 

大島高は2014年春の選抜大会で初出場。同大会で初優勝を果たすことになる強豪・龍谷大平安(京都)といきなり対戦した。試合は、序盤は互角の展開。中盤以降は突き放され2│16で敗れたが、打線は11安打を放つ健闘を見せた。

 

この試合の観客は3万3000人。1塁側アルプススタンドには約6000人のシマッチュや奄美ファンが詰め掛けた。平安からアウトを取るたびに地鳴りのような歓声やハト(指笛)が飛び交い、「稲すり節」をはじめ奄美らしさを全面に出した応援は「日本一」の評価を受けた。

 

■自分も大島で野球を

 

現在の大島高野球部に在籍する選手、マネジャー計37人のうち、約10人が8年前の試合を甲子園で観戦した。昨秋の九州大会で打線の中軸を務めた中優斗(2年)もその1人。「優勝した平安相手に、五回表まで同点の試合を演じたお兄ちゃんたちがかっこよかったことを覚えている。いつか自分もこの舞台に立ちたいと思った」と振り返る。

 

笠利中3年時には離島甲子園の奄美市代表となり、武田涼雅や西田心太朗ら現チームの中心選手と同じチームになった。進路は「顔なじみの人と甲子園を目指せたら楽しいはず」と大島への進学を決めた。

 

選手で唯一奄美群島外中学出身の粟飯原(あいはら)雄斗(2年)は、母親が宇検村出身の奄美2世。奄美大島の高校が出場すると知り、叔母と2人で観戦した。当時はサッカー少年だったが「甲子園の観戦が野球の面白さに気付くきっかけになった」と中学1年から野球を始めた。

 

中学3年の19年の夏には、高校野球の鹿児島県大会をインターネット観戦。その準々決勝で大島は、第1シード神村学園相手に九回表まで3点リードしつつも、その裏に逆転されサヨナラ負けを喫したが、中学でやめる予定だった野球への思いが再燃した。「島の高校でもこんなすごい試合ができる。大好きな島で大好きなスポーツをしよう」と、兵庫県の親元を離れ寮生活を送りながら部活動に汗を流している。

 

■「21世紀ナイン」の功績

 

大島高野球部には本土の強豪校からの誘いを断った選手が複数在籍する。8年前の選抜初出場時の主将で、自身も島に残り「島から甲子園」を実現した重原龍成さん(25)は「8年前の選抜出場がきっかけで島に残って野球を続けたり、野球を始めたりした子が1人でも増えたのであればうれしい」と後輩への思いを語る。

 

大島高野球部のOBでつくる安陵球児会の前里佐喜二郎会長(67)は「8年前の21世紀枠での選抜初出場で、子どもたちだけでなく周囲の大人も『島でもできる』と感じたと思う。今回一般枠で出場できたのは8年前があったから。今回の出場を機に、さらに島の高校にとどまって頑張るという子どもが増えてほしい」と話した。