日本復帰66年、奄美市名瀬で記念の日のつどい

2019年12月26日

地域

「断食悲願」を朗読する名瀬小学校の児童=25日、奄美市名瀬

「断食悲願」を朗読する名瀬小学校の児童=25日、奄美市名瀬

 「祖国帰心 五臓六腑(ろっぷ)の矢を放とう」―。奄美群島が1953(昭和28)年12月25日に米軍政下から日本復帰して66年。復帰運動の中心地となった奄美市の名瀬小学校で25日、「日本復帰記念の日のつどい」があった。復帰運動の経験者から戦後世代の一般市民、小中高校生まで約650人が出席。無血の民族運動を展開した先人の偉業をたたえ、郷土の発展に決意を新たにした。

 

 つどいは奄美市と民間団体などで構成する実行委員会が主催。例年は復帰運動の決起集会などで使われた石段(市指定文化財)がある同校校庭で開催しているが、天候不良のため会場を体育館に変更した。会場には当時の集会で演説時に使われたとされる円形テーブル(同)が設置された。

 

 国歌斉唱、献花に続き、全員で「日本復帰の歌」を高らかに歌い上げた。朝山毅市長は「昭和、平成、令和と時代は移り変わるが、悲しい戦争体験や群島民が団結して成し遂げた復帰運動などの歴史は風化させることなく、後世に受け継いでいかなければならない」とあいさつした。

 

 奄美市名瀬の松夫佐江さん(92)が戦争体験について講話した。太平洋戦争中に米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した疎開船「武州丸」に乗船予定だったが満員で乗れず、九死に一生を得た当時を振り返り、「私たち家族はそれから、命が助かったからこれでいい、これで十分と一生懸命働いて今日まで生活ができた。戦争は2度とない方がいい」などと語った。

 

 名瀬小6年生と来場者が復帰運動の指導者泉芳朗の詩「断食悲願」を朗読。児童生徒を代表して名瀬中2年の登山にこさん(14)が、米軍政下の時代に復帰運動や教育充実のため奔走した先人に感謝し「復帰の歴史を後世に伝え、奄美の将来を考え、精いっぱい生きていこうと思います」と述べた。

 

 日本復帰祝賀の歌「朝はあけたり」を斉唱し、最後は万歳三唱で締めくくった。つどいの司会は金久中2年の泊雄太さん(14)と柳真心さん(13)が務めた。