薩摩藩支配の原点忘れない 津代古戦場跡で慰霊祭 奄美市笠利町

2024年04月22日

地域

薩摩軍と島民との戦闘があったとされる津代古戦場跡で行われた慰霊祭=21日、奄美市笠利町

薩摩藩が奄美・琉球侵攻(1609年)のため、奄美大島に差し向けた兵と島民の戦闘があったと伝わる奄美市笠利町手花部の津代(つしろ)古戦場跡で21日、戦没者を追悼する「水花香1609慰霊祭」があった。有志で組織する「三七(みな)の会」が主催し島内外から約20人が参列。薩摩藩支配が始まった415年前の出来事に思いをはせた。

 

三七の会は薩摩軍が奄美大島に上陸したとされる旧暦3月7日にちなんで命名。1997年の発足以降、毎年慰霊祭を開いている。

 

津代古戦場跡は奄美市の指定文化財。「奄美大島史」(坂口徳太郎編著)によると、山川港を出発した薩摩軍の船隊は海上難航により散らばって奄美大島各所に漂着。津代には計5隻約150人が到着し、島民が海岸に柵を設けて防衛したと記されている。

 

慰霊祭の場所は、戦闘の舞台となった津代の浜とその対岸を臨む山の尾根にある斎場。一帯では無数の埋葬跡が見つかっており、遺骨は戦闘で命を落とした人のものだという説もある。

 

参列者は、墓石として並べられたサンゴ石にソテツ葉や米、ミキ、線香を供えて手を合わせた。薩摩藩支配時代の島民の苦労を歌った島唄「徳之島節」もささげ、戦没者らに哀悼の意を示した。

 

同会の中心メンバーの一人、森本眞一郎さん(73)は「島民が戦ったことは郷土教育でも教えられておらず知る人は少ない。奄美が鹿児島県となった原点である(薩摩軍の)上陸を忘れないよう継承していきたい」と語った。

 

慰霊祭の後、参列者の一部は津代から赤木名を結ぶ山道「道の島古道」を歩き、当時の島民らの見た風景を体感した。