【つなぐ戦争体験】(下) 語り継ぐ使命 世代の壁を越えて

2022年11月24日

特集【コラム】

日章旗を広げて講演する吉見さん=10月、鹿児島市の鹿児島南高校(吉見さん提供)

鹿児島市遺族会の吉見文一さん(81)=伊仙町出身=は今年10月、有志で「戦争を語り継ぐ遺児の会」を立ち上げた。戦争から77年がたち、戦争体験を語れる人はほとんどいなくなった。戦争遺児として、自分たちが語っていかなくては│。遺族として見詰めた戦争の悲惨さを、現代の若者たちに伝えていく決意を新たにしている。

 

◆   ◆

出征した父親をパプアニューギニアで亡くした戦没者遺族は、吉見さんだけでなく全国各地にいた。

 

70歳になり、初めて現地を慰霊訪問した際に知り合った遺族はほとんどが同世代。幼い頃か生まれる前に父親が戦死したため、「お父さん」と呼んだ記憶や、触れ合ったことのない寂しさを抱えていた。

 

吉見さんはこれまで「人に話しても分かってもらえないのでは」と、戦争について自身の思いを語ることはなかった。しかしこのメンバーだと自由に話すことができた。「うちは遺骨は帰らず紙切れ一枚だけ」「うちは石ころ」│。同じ境遇の人たちと思いを共有し、長年の胸のつかえが取れた気がした。

 

「戦争の犠牲となった父たちのおかげで今の平和がある。その死を無駄にしないためにも、語り継いで行くことが大切だ」。80歳を迎えるころ、そう思うようになった。

 

一方で、父のことを話すのは、子や孫ですらためらわれた。外で話すとなるとなおさら。身内の不幸はさらしたくない。大事に思う気持ちを自慢と取られても困る。場をちゃかされたり、湿っぽい雰囲気になるのも嫌だった。「大事なことだとは思っているけれど、話したことを後悔するときもある」

 

数年前の盆、自宅に遊びにきていた孫たちが父の遺書や遺留品を見つけ、興味深そうに読んでいた。その後、当時15歳だった孫がスピーチコンテストで最優秀賞を受賞した。

 

「『お父さん』このたった5文字は、私の祖父にとって、言いたくも言えなかった大切な言葉です」│。そう始まる孫のスピーチには、父が戦死したことや自分に宛てた遺書、そしてパプアニューギニアでの慰霊祭で、初めて自分が「お父さん」と呼べた日のことが書かれていた。

 

「毎日何気なく口にするこの言葉に反応してくれる存在がいること、そのありがたさに気付かされました」

 

孫の素直な表現に胸を打たれた。「ちゃんと話したことはなかったが、こちらが伝えたいもの以上の気持ちを分かってくれている」。戦争を知らない世代にも伝わるんだ、と背中を押してくれた。

 

◆   ◆

今年10月、鹿児島市内の高校で平和講演会を行い、「戦争を語り継ぐ遺児の会」として活動をスタートさせた。生徒と保護者約550人を前に、父の遺品と戦争について語った。講演では、奥田智恵さん(67)=徳之島町出身、京都府=から預かった「寄せ書き日章旗」も広げて見せた。

 

語る方と聞く方の溝を埋めるように、戦争の「生き証人」として日本に戻った「寄せ書き日章旗」。吉見さんはこれからも若い世代に平和の尊さを訴え続ける。      (おわり)