富山丸の惨事忘れない 撃沈から81年慰霊祭 徳之島町
2025年04月20日
政治・行政

なごみの岬公園で富山丸で犠牲になったみ霊に献花する全国の遺族会関係者=19日、徳之島町
【徳之島総局】太平洋戦争中の1944年、沖縄防衛に向かう途中、徳之島の亀徳沖で米潜水艦に撃沈された輸送船「富山丸」の第62回慰霊祭が19日、徳之島町亀徳のなごみの岬公園で開かれた。全国の遺族39人と徳之島内の小中学生ら計約170人が参列。犠牲になった約3700人のみ霊に祈りをささげ、平和への思いを新たにした。
富山丸(約7千トン)は沖縄守備のため、四国や九州から招集された陸軍兵約4600人を乗せ、44年6月29日午前4時、奄美大島古仁屋港を出港。同日午前7時25分、徳之島の亀徳沖約3キロの地点で米潜水艦の魚雷攻撃を受け、撃沈された。
19日の慰霊祭では、遺族会参拝団代表の徳永孝彦さん(80)=宮崎市=が「戦後80年の歳月が過ぎたが、きょうも世界のどこかで戦争が続いている。子や孫たちが国家間の紛争に巻き込まれることがないよう平和を願う」とあいさつした。
天城町立岡前小学校の卒業生で鹿児島純心女子中学1年の竹田百笑さんは、富山丸について遺族と交流し、学んだ経験をつづった作文を朗読。「沈没から80年がたった今でも遺族の方が流す涙を見て戦争はまだ終わっていないと感じた。自分にできることは戦争について正しく知り、忘れさせないために学んでいくこと」と発表した。