ALS患者楽曲の動画を公開 川井さんと青木さんが共同制作 瀬戸内町

2025年03月31日

地域

川井志津子さん(右)と青木聡美さん

〽ALS え~まさか、なんで私なの え~まさか――

体が徐々に動かせなくなる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の川井志津子さん(73)=瀬戸内町古仁屋=とアーティストの青木聡美さん(50)=同町伊須=が共同制作した楽曲「きせきが起きるよーきっと」が今年1月、初めてバンド編成で披露され、このほど動画投稿サイト「You Tube」で公開した。川井さんは「薬のおかげで病の進行は緩やかだけど、それも酷なものでね。最近は、痛みやつらさ、先への不安で、嫌になることも多い。でも、今の『私らしさ』が伝わるとうれしい」と話す。

 

川井さんが体に異変を感じたのは2022年秋ごろ。最初は腕が上がらなくなり、病院などで診てもらうが診断はつかず、介護支援専門員として働く職場では冗談めかして「五十肩ならぬ七十肩だ」と仕事を続けたという。その傍ら、次第に転ぶことが増え、翌23年4月に脳ドックを受診。結果はまたも「異常なし」だった。

 

ただ、近しい人からは改めて精密検査を受けるよう促されたそうで、転倒で鼻の下を縫う傷を負った際に治療してもらった医師へ相談。娘が暮らす青森県の病院に紹介状を書いてもらい、3週間弱の検査入院後の同年8月、病名がALSだと判明した。

 

告知を受けた直後は死の話ばかりを口にしたという川井さん。「娘がそんなこと言わんでって泣いてね。その時、残りの人生も私らしく、自分で決めて生きようと思えた」と振り返り、それ以降は「思い立ったが吉日と行動する本来の自分らしく、人と会って、ゆむぐち(おしゃべり)して、好きなものを食べるようにしている」と笑う。

 

公開された楽曲も川井さんの前向きな姿勢が縁となり誕生した。「人の痛みはその立場に立って知る」ことを身をもって理解したという川井さんが、弱者の痛みを健常者らにも伝えたいと企画した24年6月の「車いすで街歩き」で、知人に誘われて参加したアーティストの青木さんが歌の持つ楽しさを共有したいと「一緒に遊びませんか?」と声を掛けたのが始まり。

 

当時、辛うじて動いた指で川井さんが携帯電話を使って作詞し、青木さんが曲に乗せた。最初に仕上がった川井さんの歌詞は「つらい」や「どうにかして」など叫びに近かったそうだが、「病気は誰かに代わってもらえるわけでもないのに暗いし、惨めじゃん」と、病名告知の時の気持ちや日々のふてごと(愚痴)、自分なりの生き方に書き直したという。

 

ライブ編成で楽曲を披露する「志津子だヨ! 全員集合!! 新春ライブ&なんこ祭り」の動画QRコード

歌詞を託された青木さんは「どう曲にしようと迷う半面、しーちゃん(川井さんの愛称)の素直な気持ちが入っていて、作曲するのが楽しかった。島の自然と同じで、しーちゃんが人間の多様性を見せてくれているようで、その『ありのまんま』の姿に触れると自分も頑張ろうって思えた」と語り、今後の活動について「しーちゃんの意思やペースとを大切に発信していきたい」と話す。

 

川井さんは「生きる」とは「耐える」ことだと言う。「病を患って健康が一番だと心から思うし、みんなも体を大切にしてほしい。でも、健康な人も仕事や家、子育てなどさまざまなストレスに耐えながら生きていて、だから人は耐えて、耐えて、また耐えて、朽ち果てるものなのかなって。今は私の元気な姿をみんなに覚えてもらいたいし、最後は家族に見守られながら寝かしてって、それが望み」と〝らしさ〟をにじませる。