富山丸戦没者供養祭  瀬戸内町古仁屋

2019年04月19日

地域

祭壇に献花する遺族会会員ら=18日、瀬戸内町古仁屋の森山公園

祭壇に献花する遺族会会員ら=18日、瀬戸内町古仁屋の森山公園

 太平洋戦争中、米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて徳之島沖に沈んだ輸送船「富山丸」の第56回戦没者供養祭は18日、瀬戸内町古仁屋の森山公園であった。全国各地の遺族会会員、県、町、町内各種団体、自衛隊の代表者ら約50人が参列。富山丸が最後に寄港した古仁屋港を見下ろす聖域の森で、犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。

 

 富山丸は1944年6月29日早朝に古仁屋港を出港。沖縄へ向け航行中に撃沈され、約3700人が命を落とした。当時、古仁屋の住民らは船を出して救援に向かい、乗船者の救助や看護に尽力した。

 

 森山公園内にある供養塔は1985年、富山丸の生存者である三角光雄氏が建立した。遺族らは3年に1回、徳之島町から瀬戸内町をたどる慰霊の旅を続け、瀬戸内町保健福祉課の協力で供養祭を開いている。

 

 供養祭では犠牲者に黙とうをささげた後、鎌田愛人町長が「戦争の悲惨さや富山丸の当時の惨事を後世に語り継ぎ戦没者のみ霊に報いるため、世界の恒久平和に取り組んでいくことを誓う」とあいさつ。参列者一人一人が献花し、供養塔に手を合わせた。

 

 今回の訪問団長で富山丸関東地区遺族会の杉田明傑さん(78)は「父が船に乗っていた。ここは富山丸が最後に見た祖国の景色であり、地元の方々が負傷者を収容してくれたという意味で心引かれる地。今後も慰霊訪問を続けたい」と話した。