犠牲者追悼、慰霊飛行も 海自機墜落から60年 奄美市名瀬で式典

2022年09月04日

地域

60年前に奄美市名瀬で起きた海自哨戒機墜落事故の犠牲者13人を追悼した慰霊式典=3日、同市名瀬

輸血用血液を輸送していた海上自衛隊の哨戒機が1962年に名瀬市(現・奄美市名瀬)の「らんかん山」に墜落した事故から60年となる3日、奄美市の名瀬小学校体育館で犠牲者を追悼する慰霊式典があった。自衛隊機による慰霊飛行も行われ、参列者は黙とうや献花を通じて犠牲者の冥福を祈るとともに、当時に思いをはせた。

 

事故は同年9月3日午後4時55分ごろに発生。急患用血液を輸送中の海自P2V対潜哨戒機が墜落し、搭乗員12人と巻き込まれた住民1人が死亡した。当時、奄美大島に空港はなく、哨戒機は港に血液を投下するため、名瀬市街地付近を低空飛行で旋回していた。

 

式典は奄美大島青年会議所(小原常誉理事長)主催。哨戒機が所属していた海自第一航空群(鹿屋航空基地)や市内の関係者、一般市民ら約100人が参列した。開式を前に午前10時半ごろ、同基地所属の哨戒機P│1が慰霊飛行を行い、名瀬市街地上空を通過した。

 

式辞で同会議所の小原理事長は「(事故が)風化しないよう語り継ぎ、生命の尊さを伝えていく」と語った。追悼の辞で海自第一航空群司令の藤原直哉海将補は「より精強で、いかなる事態にも即応しうる部隊を目指して訓練に励む」と決意を新たにした。

 

式典は例年、らんかん山の事故現場付近にある慰霊碑「くれないの塔」で実施しているが、今年は多くの参列者を迎えるため会場を同小体育館に移した。当日、会場には「くれないの塔慰霊碑」を仮設。墜落した哨戒機の絵や模型、当時の新聞記事なども展示された。

 

◆くれないの塔◆

 

くれないの塔は事故翌年の1963年、奄美大島青年会議所が中心となって建立した。らんかん山の中腹にあり、高さ約6㍍のコンクリート柱3本が石の碑を囲む。外側にある石の碑にはタイヤが埋め込まれており、同会議所によると、墜落機のタイヤだという。麓から現地までは傾斜のある舗装路が続いている。

らんかん山の中腹、哨戒機が墜落した事故現場付近に立つ慰霊碑「くれないの塔」=2日、奄美市名瀬