西郷どん放映、期待高まる  奄美大島、沖永良部島

2018年01月01日

地域

西郷上陸地で西郷松せんべいを通して地域の歴史を伝える岩﨑晴海さん、ナツエさん夫妻

西郷上陸地で西郷松せんべいを通して地域の歴史を伝える岩﨑晴海さん、ナツエさん夫妻

 明治の偉人・西郷隆盛は生涯で2度、奄美の島で暮らしている。1度目は奄美大島の龍郷町。安政の大獄で命を狙われた僧・月照との入水自殺に失敗し、1人生き延びた西郷は薩摩藩の命によりこの地に3年間潜居した。2度目は奄美大島から藩に復帰した直後。実権を握っていた島津久光の不興を買って遠島となり、はじめは徳之島へ、それからさらに遠い沖永良部島へ流された。

 

 龍郷町では地元の郷士格である龍家の娘・愛子(通称愛加那)と結婚。1男1女に恵まれる。重罪人として過ごした徳之島・沖永良部島では過酷な環境に置かれたが、島の子どもや若者たちへ塾を開き、凶作に備える社倉法などの教えを残した。

 

 この2度の島暮らしで、西郷は後に「敬天愛人」の思想に至る人格の基礎を築いたといわれる。大河ドラマ「西郷(せご)どん」では奄美での生活にも注目したい。

 

 1月にいよいよ始まる「西郷どん」放映に向け、地元の期待も膨らんでいる。現地ロケが見込まれる奄美大島、沖永良部島の2島で住民の声を拾った。

 

◆お菓子に逸話込め

 

 1859(安政6)年、西郷を乗せた船が龍郷町久場の阿丹崎に到着した。その際船のとも綱を結んだとされるリュウキュウマツが「西郷松」だ。立ち枯れで2011年に姿を消したが、代々この地で松を守り続けてきた岩﨑晴海さん(69)の菓子店・西郷松本舗が今も歴史を伝えている。

 

 店で販売する「西郷松せんべい」は、奄美大島のシイの実と黒砂糖を使ったユニークな焼き菓子。1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」をきっかけに岩﨑さんが祖母・半千代さんの話から着想を得て開発し、約30年も観光客や地元住民に親しまれるロングセラー商品だ。

 

 狩り好きで知られた西郷は龍郷でもイノシシを追ってたびたび山に出掛け、その合間に拾ったシイの実をいって食べていたという。激動の時代を駆け抜けた西郷が、龍郷で過ごしたつかの間の穏やかな日々がうかがえる。

 

 「日本を背負った偉人・西郷隆盛が龍郷町で生活していたことを伝えるのは、ゆかりの地に住む私の使命」と語る岩﨑さん。「ドラマ西郷どんでは奄美にもスポットが当たると聞いている。これをチャンスとして、次世代へ歴史をつないでいきたい。西郷さんの活躍が毎週見られるのが楽しみ」と胸を膨らませた。

 

◆教え受け継いできた島

 

 時の権力者・島津久光に疎まれ流罪となった西郷は、徳之島を経由し沖永良部島和泊町で入獄した。風雨にさらされる野ざらしの格子牢で、西郷は次第に衰弱。見かねた島役人の土持政照は代官に座敷牢への改築を申し出、完成するまで自宅でもてなす。政照と母ツルの心のこもった看病で心身ともに回復した西郷は座敷牢で塾を開き、薫陶を受けた操坦勁ら多くの若者たちが後に島の発展に大きく貢献した。

 

 和泊西郷南洲顕彰会は、西郷の功績や沖永良部島との関わりを地元の小学校や公民館講座「西郷塾」で教えている。副会長の本部忠孝さん(72)は「沖永良部島での1年6カ月が西郷さんの人格形成に大きく影響した。島での生活や交流を全国の方に知ってもらいたい」と放送を待ち望んでいる。

 

 西郷は思想や人材だけではなく、先輩が後輩を指導する薩摩藩の「郷中(ごじゅう)教育」の仕組みを沖永良部島に残した。1897(明治30)年、和泊の戸長だった操が子どもたちを集めて勉強会を立ち上げると、運動は島内全体に広がった。

 

 本部さんは「島の発展のもとは西郷さんの教えにある」と分析。「土持、操らを通して西郷さんの教えを一番引き継いできたのが沖永良部島。顕彰会でも歴史を伝える活動を続けていきたい。ドラマを通じて、島内の若い世代にも関心が高まれば」と期待を寄せた。

顕彰会の本部副会長と、同会メンバーとしてイベントなどで西郷どんの愛犬「ツン」役を務める飼い犬のコロ

顕彰会の本部副会長と、同会メンバーとしてイベントなどで西郷どんの愛犬「ツン」役を務める飼い犬のコロ