「奄美大島要塞跡」 国指定史跡に 「国防と関連密接、重要」 瀬戸内町
2022年12月17日
社会・経済
国の文化審議会は16日、瀬戸内町に残る旧日本陸軍の軍事遺跡「奄美大島要塞(ようさい)跡」を、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。指定される遺跡は「西古見砲台跡(にしこみほうだいあと)」(同町西古見)、「手安弾薬本庫跡(てあんだんやくほんこあと)」(同町手安)、「安脚場砲台跡(あんきゃばほうだいあと)」(同町渡連)の3遺跡。瀬戸内町初の国指定史跡となり、要塞跡が国指定史跡となるのは全国でも2例目。
16日に開かれた国の文化審議会文化財分科会の審議、議決を経て答申された。官報に告示され正式に国指定史跡となる。
要塞とは、戦略上重要な地点に設けられる防衛を目的とした軍事施設。奄美大島要塞跡は▽大島海峡付近に遺構が集中的に残存し、要塞全体の理解が可能なこと▽ワシントン海軍軍縮会議や太平洋戦争の開始など、近代日本の国防施策と密接に関連する遺跡群であること│などが評価され、「重要な遺跡群」と認められた。
奄美大島要塞跡は、1921(大正10)年から奄美大島側と加計呂麻島、江仁屋離島に建設された旧陸軍の要塞跡。瀬戸内町教育委員会が2014年から行った調査で判明しただけでも、町内に52遺跡が確認された。今回指定されたのはそのうちの3遺跡。
文化審議会によると、1918(大正7)年に帝国国防方針が改定され、海軍は全艦隊を奄美大島付近に集中させ、小笠原諸島を哨戒線とする方針とした。これに呼応し陸軍が要塞建設を開始。ところが直後にワシントン海軍軍縮会議で工事は中止に。その後31年ごろから弾薬庫や砲台が順次建設されていった。
発掘調査に携わった同町教委の鼎丈太郎主査は「これだけの規模の要塞跡が現存しているのは全国的にまれ」と話し、「建設には当時多額の費用が投入されたことも調査で判明した。国策としてどれほど力が入っていたか、戦況の変遷も知ることができる」と分析する。
「西古見砲台跡」は大島海峡の西口を、加計呂麻島の「安脚場砲台跡」は大島海峡の東口を、それぞれ監視し防衛する任務を担っていた。古仁屋に近い「手安弾薬本庫跡」は奄美大島の要塞すべての砲台用の弾薬を保管する弾薬庫で、運搬上の利便性を考えて地域の中心部に建設されたと考えられている。
国史跡指定の答申について、鎌田愛人瀬戸内町長は「答申により、国として守るべき文化財であるとの評価を受けたことになる。未来へ残していけるよう、地域活性化や観光資源として保存・活用していきたい」とコメントした。