「渡琉日記」魅力に迫る 琉大付属図書館の貴重書展示で座談会 和泊町

2024年03月02日

芸能・文化

「渡琉日記」の魅力に迫った座談会=2月17日、和泊町(提供写真)

沖永良部島出身のノ葉=へつよう=(後に操坦晋=みさお・たんしん=)が記した「渡琉日記」をテーマとした座談会(琉球大学付属図書館主催)が2月17日、和泊町防災拠点施設やすらぎ館であった。同町の町誌編さん委員の先田光演さん、町歴史民俗資料館の伊地知裕仁さん、琉球文学や文化などを研究する同図書館職員の崎原綾乃さんがそれぞれの視点で日記の文学的記録的価値の高さや当時の時代背景などを語り、その魅力に迫った。

 

座談会は琉球大学付属図書館が地域に出向いて貴重書を展示する「お出かけ貴重書、和泊町へ行く!」の関連イベント。渡琉日記は、「戌(いぬ)の御冠船」と呼ばれる尚育王冊封(1838年)に関連して、沖永良部島へ割り当てられた上納物を沖縄・那覇まで運搬した際の旅日記で、冊封使節一行との交流の在り方や、坦晋ら沖永良部役人の教養の高さなどを示す貴重な日記とされている。

 

伊地知さんは渡琉日記の概要を分かりやすく解説し、「琉球人、薩摩人、地元の文化人との交流など、本当に人間味あふれていると同時に、坦晋の学識と文化力の高さが如実に表れている。当時の沖永良部に記録として残してくれたというのが日記の魅力ではないか」と話した。

 

崎原さんは「琉球王国時代、文字が読めるのは基本的に士族の男性だけだった。坦晋はその当時にあって文字が書け、琉球語が話せる。さらに琉歌、和歌、漢詩が作れる。すごく勉強し、それを使って交流していくというところがすごい事」と話した。

 

先田さんは日記の記録性について「記録性は坦晋の孫・坦勁(たんけい)に伝わり、坦勁は明治以降、沖永良部の近世~近代の出来事をまとめた歴史書を作っていく。その資料が現在進めている町誌編さんの基本資料となっている。坦晋が日記の記録性を伝え、孫が実践し、現在に伝わっている事で、改めて坦晋のすごさを説明できる」と話した。

 

会場には同図書館所蔵の「渡琉日記」と「琉球諸島図巻」のほか、伊地知さんによる同日記の現代語訳なども展示された。