79年前の犠牲を悼む 戦艦大和慰霊祭に200人参列 伊仙町

2024年04月08日

地域

修復を終えた慰霊塔へ献花に向かう参列者ら=7日、伊仙町の犬田布岬

戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊の戦没将士慰霊祭(同実行委員会主催)が7日、伊仙町の犬田布岬であった。島内や自衛隊など島内外から約200人が参列。前年度に修復を終えてかつての輝きを取り戻した慰霊塔の下で、79年前に祖国防衛のため海に散った3737柱の冥福を祈った。

 

慰霊祭は今年で57回目。式典では大和が沈没したとされる午後2時23分に合わせて参列者らが黙とうをささげ、神事に続き献花した。

 

式典で伊仙町の大久保明町長は「戦後の平和と目覚ましい発展は尊い犠牲の上に築かれたもの。引き続きこの慰霊祭を地元有志で行っていく」と慰霊の言葉を述べた。

 

航空自衛隊那覇基地第9航空団司令の鈴木繁直空将補は日本の安全保障上の問題として北朝鮮の弾道ミサイル発射、中国の航空・海上活動の活発化などを挙げた上で、「われわれ自衛官はみ霊のご遺志を受け継ぎ、国民の信頼と負託に応えるために努力と精進を重ねていく」と誓いを立てた。

 

式典には地元の西犬田布婦人会の会員や、空自南西航空音楽隊の隊員も参加。参列者が見守る中で舞や演奏をささげた。慰霊祭に併せて実施する予定だった第9航空団司令部のF15戦闘機による慰霊飛行は悪天候のために中止となった。

 

犬田布岬にある慰霊塔は1968年完成。老朽化が進んだため、全国から寄付を募って総工費約8700万円をかけて修復した。西犬田布区長の水本孝仁さん(69)は「慰霊塔が完成したのは私が12歳の時。そのころの輝きを取り戻した」と喜び、「全国からの多額の寄付のおかげで修復ができた。孫世代まで慰霊祭を引き継いで善意に応えたい」と感謝を述べた。

 

伊仙町によると、今回の慰霊祭には遺族の参加はなかった。特攻隊戦没者慰霊顕彰会理事として参加した鮒田英一さん(68)=東京都=は「遺族の高齢化などの理由で全国各地の慰霊祭が無くなってきている」と危機感を示し、「継続には地元の理解と若い世代への継承が必須。徳之島では今後も末永く慰霊祭を続けてほしい」と語った。

 

戦艦大和は1945年4月6日、山口県徳山湾沖から沖縄へ向け出撃。翌7日に鹿児島県坊ノ岬沖で米軍の攻撃を受け、沈没した。沈没地点は長らく徳之島西方沖とされてきたが、その後の調査で坊ノ岬沖であることが分かった。