観光、癒やし効果に期待 喜界馬復活プロジェクト
2020年01月03日
かつて国内有数の馬産地として名をはせた鹿児島県喜界島。最盛期には約4千頭の喜界馬が飼われていたとされるが、さまざまな要因から現在では姿を消してしまった。そんな喜界馬を復活させようというプロジェクトが持ち上がり、2018年12月に喜界馬にルーツを持つ「トカラウマ」が里帰りして話題となった。喜界馬がたてがみをなびかせながら草をはんでいたかつての光景が戻るのだろうか。
■喜界馬の歴史
喜界町誌によると、1911(明治44)年の家畜飼育状況は馬3159頭、牛716頭、豚2103匹、ヤギ2104匹。「家畜では馬が最も多く、明治のころから各農家では馬を1~2頭は飼っていた。大正の中ころには馬の競り市も開催されるようになり、昭和10年代には大島郡内や沖縄へ移出された。」と記述されている。
喜界馬は1897(明治30)年ごろ、トカラ列島の宝島にも渡り、「トカラウマ」と名付けられた。貴重な在来馬として1953(昭和28)年には鹿児島県の天然記念物に指定されている。
■頑丈で重宝
高坂嘉孝さん(68)=喜界町郷土研究会会長で獣医師=によると、喜界馬は骨が丈夫でひづめも硬く、運搬や農耕に重宝された。その頑丈さは隆起サンゴの特殊な土壌条件からもたされたものだという。
島内では、戦争時に軍馬として大型の外国種との交配によって品種改良され、大型化していった。高坂さんは「昭和10年ごろの喜界島が舞台となっている安達征一郎の小説にも、小型の在来種と大型の外来種が半々だったと書かれている」と話す。
昭和20年代には4千頭を数えたが、農業の機械化や自動車の普及などにより昭和40年代には数百頭にまで激減。1990(平成2)年には喜界島から姿を消した。その最後の喜界馬が剥製となり、町中央公民館に展示されている。
■復活プロジェクト
そんな中、町は2017年、喜界馬の血を引くトカラウマを地域おこしにつなげようと復活プロジェクトを立ち上げた。鹿児島大学や十島村と情報交換を重ね、18年12月15日、中之島の高雄牧場生まれのトカラウマ1頭を譲り受けた。19年1月24日には盛大に歓迎セレモニーが催された。
プロジェクトを受け持つ町企画観光課の富充弘課長は「鹿児島大学などと連携し、ゆくゆくは交配させて増やしていく方針。年配の方にも喜界馬があんなに小さいとは知らない人が多かった。本来の姿を知ってもらう良い機会となっている」。
川島健勇町長は「喜界馬の復活は、島の人が待ち望んでいたこと。観光だけでなくアニマルテラピーなどによる癒やし効果にも期待している。町の財産として皆さんと一緒に今後の活用を考えていきたい」とそれぞれ話した。
■牧場ですくすく
そんな期待を一身に受ける馬の名は「グラッシー(小さな草の意)」。同町伊実久で牧場「グローリーファーム」を経営する栄常光さん(64)に引き取られ、栄さん家族や牧場の人たちに見守られすくすくと育っている。
グラッシーは3歳半になる雌。引き取った当時は体高130センチ、体重240キロだったが、この1年ほどで体重が60キロほど増えた。
栄さんによると、グラッシーの性格は穏やかでおとなしく、牧場生まれで人にもなれている。ひづめのチェックや定期的なブラッシングなど健康管理にも十分に注意しており「一度だけ風邪をひいて点滴をした」(栄さん)そうだが、至って健康だ。
グラッシーの日課は1キロほどの散歩(引き運動)。栄さんは「人間なら15歳ほどなので女子中高生といったところ。ちゃんと相手をしてやらないと焼きもちを焼いてすねる。そんなときは『グラッシー』と呼び掛けてもしらんぷりすることがある」と笑う。トイレをする場所が決まっているなど几帳面な部分もあるという。
栄さんの牧場には、19年4~9月の半年間で島内外から約1200人が来場するなど、観光面で既に“グラッシー”効果が出始めている。栄さんは「野生だと厳しいが、グラッシーは触らせてくれる。乗馬の訓練なども始めている」と話し、今後に期待した。