「天国で思いきり歌って」 奄美市で告別式、坪山豊さん
2020年07月23日
芸能・文化
今月20日に89歳で亡くなった奄美島唄の第一人者・坪山豊さん=宇検村出身=の告別式が22日、奄美市内の斎場でしめやかに行われた。斎場には坪山さんが愛用した三味線などの遺品が並んだほか、出棺の際は坪山さんが作曲した「ワイド節」が流れ、参列者は生前の功績をたたえながら冥福を祈った。
坪山さんは宇検村生勝生まれ。1980年に開かれた第1回奄美民謡大賞で大賞受賞。奄美島唄の発展と後進の育成に尽力し、海外公演も参加した。長男の良一さん(57)とともに、奄美伝統の板付け舟を造る舟大工としても知られた。2001年に第25回南海文化賞(郷土・民俗部門)を受賞。「ワイド節」や「綾蝶(あやはぶら)節」など新しい島唄の作曲も手掛けた。温厚な人柄でも慕われた。
坪山さんと同郷の元琉球新報記者の中村喬次さん(80)は、幼少期の坪山さんの唄声が忘れられず、舟大工として活動する坪山さんに民謡大会に出るよう勧めた思い出を振り返った。「彼が初めて民謡大会ステージで歌ったときに、聴衆に走った感嘆の波は今も忘れられない。聴く者の胸をかきむしるような哀切感が満ちていた」と話す。
島唄研究者の小川学夫鹿児島純心女子短期大名誉教授は「弟子たちにも自分のスタイルを強制することなく、それぞれを個性とみて自由に歌わせていた。若い唄者たちにとっては精神的な支柱だったと思う」と哀悼した。
奄美市の朝山毅市長は「古くから伝わる島唄を歌い継ぐだけでなく、ワイド節や綾蝶節など自分で作曲し、今昔の島の生活と風景を唄として伝承することに尽力された唄者だった。島口で飾らない人柄は多くの人を魅了した」とコメントした。
2003年に奄美民謡大賞を受賞し、2005年に民謡民舞全国大会で最高栄誉賞に選ばれた唄者の中村瑞希さんは「大きな存在すぎて言葉が出ない。唄者として言葉ではなく背中で教えてくれた。コンサートで訪れる先で、各地の名物を歌詞に変えるなど自由に歌う大事さを学んだ。まだ恩返しできていないのに」と涙をぬぐった。
坪山さんが手掛けた板付け舟を展示する奄美博物館の高梨修館長は「坪山さんを語る際、舟大工としての功績も重要だ。唄と舟造りが一体となって奄美の文化の一部を形成している。特筆すべき存在の人だった」と功績をしのんだ。
告別式で良一さんは「1年間365日歌っていたおやじは、入院してからの6年間毎日歌えずにいた。天国でほかの唄者が三味線と太鼓を手に待っている。いってらっしゃい、と見送った」と声を振り絞り謝辞を述べた。
告別式は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、近親者で営まれた。