九州縄文研究会鹿児島大会 天城町
2020年02月24日
芸能・文化
第30回九州縄文研究会鹿児島大会(同研究会主催)が23日、天城町防災センターであった。「島々の考古学」をテーマに基調講演や研究発表、討論があり、大学研究者や自治体の学芸員など約50人の参加者は、島を目指した縄文人の背景や歴史的環境などについて意見を交わした。
同研究会は九州の縄文時代の研究者らで組織する任意団体として1983年に発足。毎年テーマを決め、九州・沖縄の8県持ち回りで会を開いている。鹿児島では5回目の開催で、奄美群島では初めて。九州・沖縄に点在する島々の考古学情報を集積し、島を目指した縄文人の行動を考察することを目的に会合を開いた。
同会会長の宮本一夫九州大学人文科学研究院教授のあいさつに続き、県埋蔵文化財調査センター調査員の堂込秀人さんが「縄文時代のあまみについて」を演題に講演した。
堂込さんは伊仙町の面縄貝塚や与論町の上城遺跡など奄美各地で実施した遺跡調査を振り返り、「出土した石器や住居跡などから、縄文時代後期から晩期にかけて畑作していた可能性がある。住居は繰り返し使用され、循環的な半定住生活が確立された」と解説。奄美各自治体の学芸員へ「日頃から課題を持って調査を行い、地域で研究を深めてほしい」とエールを送った。
研究発表では各県の代表者に続き、地元天城町教育委員会学芸員の具志堅亮さんが同町西阿木名の下原洞穴遺跡の発掘調査成果を報告した。2016年から3回の調査で、奄美群島で最古とされてきた約6~7千年前の南東爪形文土器より古い土器片が多数見つかったほか、磨製石鏃(せきぞく)の製造跡や約4千年前の人骨が出土したと説明。
表層から約2㍍に位置する地層には人が火を起こした跡とみられる層があり、放射性炭素年代測定で約3万年前の結果が出ているとして「遺跡の堆積状況を含め、今後さらに精密な調査を実施しなければならない」と述べた。
討論では堂込さんら5人が登壇し、出土した人骨の特徴や黒曜石の流通経路などから人の移動方法などについて意見を交わした。島を目指した縄文人の思いについて登壇者は「新たな地への興味や冒険心」「子孫を維持するため出会いを求めた」などと推察した。
24日は伊仙町の面縄貝塚、天城町の下原洞穴遺跡とウンブキを見学する。