十人十色のワイド節熱唱 作曲記念日に初イベント 奄美市名瀬
2024年05月09日
芸能・文化
徳之島の闘牛をモチーフにした新民謡で知られる「ワイド節」が作曲された日(1978年5月5、6日)にちなみ、島内外で活躍するミュージシャンがワイド節を歌い継ぐ初のイベント「ワイド節生誕祭」が5、6日、奄美市内の2会場のライブハウスで開かれた。2日間で計11組のアーティストが出演し、会場には掛け声や指笛が鳴り響き、踊り出す人々で熱気に包まれた。
関係者によると、「ワイド節」は国立ハンセン病療養所「奄美和光園」(奄美市名瀬)でレントゲン技師をしながら作詞活動をしていた中村民郎さんが、徳之島出身の入園者から故郷の闘牛の歌を作ってほしい、と頼まれたのがきっかけで生まれた歌。中村さんは詞の完成後、船大工で唄者の故坪山豊さんに作曲を依頼。坪山さんは1978年5月5日、徳之島に実際に闘牛を観戦しに行き、翌6日に曲がひらめき、5分で完成させたと言われている。
この日にちなみ、5月5、6日に「ワイド節」をさまざまなジャンルのアーティストで歌い継ごうとミュージシャンのハシケンさんが企画した。
5日、ASIVIでのステージでは打楽器奏者のスティーヴ・エトウさんがテクノビートにのせてワイド節を演奏。続くハシケンさんははかま姿で登場し、張り扇を手に、ワイド節誕生秘話を講談し聴衆を引き込んだ。サーモン&ガーリックはユーモアを交えて「ワイルド節」や「マイルド節」とアレンジした一節を披露して会場を沸かせ、徳之島在住の禎一馬さんが力強くワイド節を熱唱すると、指笛や闘牛ポーズをかざして踊る徳之島出身者らと共に会場は一体となった。
中村さんは1994年、坪山さんは2020年に死去した。ライブを堪能した坪山さんの長男良一さん(61)は「父は若い人に歌い継がれるのを願っていた人。今ごろすごく喜んでくれていると思う」と笑顔。中村さんの長男保さん(73)は「にぎやかなメロディーの裏で、作詞過程に秘められたハンセン病の歴史も忘れないでほしい」と話した。
ハシケンさんは「一人の人のために作られた曲であり、その思いはどんな人でも元気にさせるパワーがある。若い人に歌い継いでいってほしい」と語った。