先人の苦労に思いはせる 大牟田市の納骨堂を訪問 与論中学校

2024年06月13日

子ども・教育

宅峰中学校の生徒にメッセージを手渡す与論中学校の生徒(手前)=5月22日、福岡県大牟田市(提供写真)

与論町の与論中学校(吉松浩志校長、生徒162人)の2年生54人は5月22日、修学旅行の一環で福岡県大牟田市を訪れ、地元の中学生や大牟田・荒尾地区与論会のメンバーと交流した。与論島の出身者が大牟田市に集団移住してから、今年で125周年。生徒らは同市の旧三井三池炭鉱で労働に従事した先人の苦労に思いをはせた。

 

与論島は1898年に台風被害による凶作で大飢饉(ききん)となった。翌年以降の3年で、石炭の積み出し港だった長崎県口之津(現南島原市)に与論島民740人が集団移住。1908年の三池港開港に伴い、大牟田市に428人が再移住した。

 

大牟田・荒尾地区与論会の朝岡光男会長(68)によると、言葉や風習の違いから差別を受けながらも固い絆で乗り切り、大牟田の発展に寄与したという。

 

22日は、与論中学校の2年生が与論島の出身者を追悼する大牟田市内の納骨堂「与洲奥都城(よしゅうおくつき)」を訪れ、地元の宅峰中学校の生徒と交流。黙とうをささげた後、採炭の苦労をつづった川畑アキラさんの楽曲「黒いダイヤの涙」を三線とギターに合わせて合唱した。

 

与論中の椛山颯太さんは「僕たちの先輩たちが働き続けてくれたおかげで今の僕たちがいるんだと思った。感謝を伝えることができた」と感想を語った。

 

朝岡会長は「与論島民が苦労した歴史を生徒さんたちに知ってもらうことで、差別に対する問題意識を持つきっかけになればうれしい」と話した。