大島防備隊本部壕を初確認 瀬戸内町教委
2020年02月08日
政治・行政
瀬戸内町教育委員会は5日、同町加計呂麻島瀬相に置かれていた奄美群島における旧日本海軍の中心部隊、大島防備隊本部の軍事施設を新たに確認した。地図資料では「防空壕(ごう)」とされていたが、コンクリート製の堅固な造りで部屋のような空間があり、町教委の鼎丈太郎学芸員は「避難用の壕としてではなく、部隊の中心部だった可能性もある」と指摘している。
町教委によると、瀬相集落には1941年9月、「大島根拠地隊」が編制され、その後同隊は廃止。42年1月に「大島防備隊」が置かれた。45年4月には大規模な空襲を受けて輸送艦など2隻が撃沈、102人が犠牲となった。現在は「戦斗指揮所跡」の近くに慰霊碑が建てられ、一部公園化されている。
初確認した「防空壕」は、手書きの地図資料で同防備隊長の加藤唯雄海軍少将がいたとの情報はあったものの、入り口や詳細な場所が不明で未調査のままだった。今回、島民からの情報提供や新たな資料の発見があり、現状確認に踏み切った。この日は同施設以外にも海岸沿いに弾薬庫跡や船の修理などを行うドックも初確認された。
「防空壕」は高さ約2メートル、幅約1・5メートル。通路の左右非対称に複数の空間が設けられていた。反対側にも入り口があったとみられるが、崩れてふさがれていた。壕内では当時のインク入れとみられる瓶も見つかった。
町教委では戦争体験者の高齢化に伴い、近代遺跡(戦争遺跡)を平和教育などに生かそうと、2014年度から国庫補助事業を活用した調査を進めている。
今回の成果を受け、鼎学芸員は「ここ(大島防備隊本部)は当時の軍事上重要な施設ではあるが、調査する前まで遺跡の残りが悪いという想定だった。今回調べたことでかなり残っていることが分かった。現在の補助事業ではできないが、今後追加で調査できれば優先的にやっていきたい」と話した。