「沖縄に生きる奄美」写す 松村さん、那覇市で写真展
2018年12月01日
地域
神奈川県在住の写真家、松村久美さんの写真展「沖縄に生きる奄美」(沖縄奄美連合会後援)が27日、那覇市民ギャラリーで始まった。戦後の苦境を乗り越えて事業を成し遂げた奄美1世や、故郷の絆を守り続ける2世など沖縄に住む幅広い年代の奄美出身者たちを紹介している。
沖縄で65年続く老舗ステーキ店の創業者、外国人相手の家具店やバーを開いた実業家。辺野古でスナックを経営する女性、沖縄の大学を卒業した銀行マン。沖縄瀬戸内会の最後の大運動会、若者でつくる模合団体、鶏飯の作り方を教える料理教室…。奄美出身者や奄美にルーツをもつ人のポートレートに加え、郷友会の集まりや奄美の食文化など「沖縄で生きる奄美」の多様な世界を見ることができる。
松村さんが在沖奄美出身者を撮るきっかけとなったのは3年前。基地の街コザ(沖縄市)を取材中、多くの奄美出身者に出会ったことだった。戦後、職を求めて沖縄に渡った奄美1世の多くは米軍基地建設や米兵相手のサービス業などに携わってきた。そのことを初めて知り、沖縄に住む奄美出身者に強い関心を抱くようになったという。以来、つてをたどって一人一人訪ね歩き、来沖の経緯や苦労話に耳を傾けながらシャッターを切ってきた。
中でも思い入れが強いのが、幼くして「糸満売り」に出された大里安菊さん(82)だ。旧名瀬市で生まれた大里さんは学業優秀だったが家は貧しく、13歳で沖縄・糸満の漁師に身売りされる。過酷な労働に長年耐えてきたためか、大里さんは出会った当初、多くを語らなかった。何を聞いても口が重く、昔の記憶もあいまいだったという。しかし、何度も足を運ぶうちに様子が変わっていった。
松村さんは「何度も会ううちに話してくれるようになった。目も輝いてきて。想像を絶する大変な経験をされてきたが、根は朗らかな方だ」と親しみを込めて語った。
大里さんの写真は会場の中央に展示されている。自身が被写体の作品を見た大里さんは「自分がこんなど真ん中に貼られているとは驚いたよ」と笑顔。「これだけたくさん奄美の人が沖縄にいるんだな」と写真展の開催を喜んだ。
松村さんは「まだお会いできてない方がたくさんいる。今回は中間報告」とし、いずれは奄美でこの写真展を開きたいと話した。
写真展は那覇市民ギャラリーで12月2日まで。その後、沖縄市のギャラリーるんるんで4日から9日まで開催される。
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まつむら・くみ 1947年徳島県生まれ。東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業。1969年から70年代にかけて沖縄に住み、復帰運動や米軍基地、離島の暮らしなどを記録。83年に「片想いのシャッター 私の沖縄10年の記録」(現代書館)を出版。その後子育てなどに追われ活動を休止していたが、2006年から沖縄通いを再開した。