対馬丸の悲劇「もう二度と」 宇検村で慰霊祭
2019年08月26日
地域
沖縄から多くの学童を乗せた疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没した事件から75年が経過し、犠牲者が漂着した宇検村宇検の船越(フノシ)海岸で25日、慰霊祭が開かれた。沖縄から平和学習交流事業で同村を訪れている親子ら35人と、地元住民約40人が参加。船が撃沈された約200㌔沖合いの悪石島に向かい黙とうをささげ、平和への誓いを新たにした。
慰霊祭は宇検集落が催。船越海岸に対馬丸慰霊碑が建立された2017年から開かれ、今年で3回目となる。
式典では同村宇検の津田正廣区長(68)が対馬丸の惨状に触れ、「最愛の家族と再会が果たせず命尽きゆく姿を思うと、どれだけ年月が過ぎても心が痛む」と話した。
宇検村の元山公知(あきら)村長(49)は「二度と繰り返さないためにも、対馬丸慰霊碑が平和の尊さを発信し続けることを心から願う」とあいさつした。
那覇市から平和学習交流事業で訪れた小学5年の川崎有理寿(ありす)(11)さんは「対馬丸に乗っていた子どもたちはすごく怖い思いをしたと思う。宇検村を訪れたことで、沖縄戦ともまた違う戦争の悲劇を学んだ」と話した。
対馬丸は1944年8月21日、学童や一般疎開者ら約1700人を乗せ那覇港を出発。長崎に向けて航行していたが22日、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷を受け沈没した。判明分だけで学童約800人を含む1400人以上が犠牲になった。