屋久島に「よろん坂」=移住者の足跡残す
2018年03月09日
地域
世界自然遺産の屋久島はトビウオの水揚げ量が日本一といわれ、漁業も盛んだ。その島の東部の春牧集落に「よろん坂」と呼ばれる道がある。100㍍ほどの沿道には与論島からの移住者が暮らしていた。その一人が箕作永吉さん(84)。ふるさとの先輩が考案した「ロープ引き漁」を受け継ぎ、腕利きの漁師として知られていた。
屋久島の郷土誌によると、与論から春牧への移住が始まったのは1930年代。戦後の47年から65年にかけて22世帯が移り、多くは漁業で生計を立てた。2隻の船でロープを引いてトビウオを集め、海に飛び込んで捕る漁法を編み出した。
箕作さんは与論島の麦屋育ち。親戚を頼り、春牧に移り住んだのは20歳のときだ。与論では魚が売れない時期もあり、「屋久島一の漁師になりたい」と夢を抱いていた。
トビウオの群れはどこに集まるか、どんな潮の流れがいいか。網元として漁師を雇い、漁具の改良にも試行錯誤を繰り返した。生活が落ち着いてきたころ、県本土で大島紬を織っていた同郷のリツさん(80)と結婚。4人の子どもを育て、7人の孫に恵まれた。
10年連続で島一番の水揚げ量を誇り、屋久島漁協の組合長を務めたことも。次男の秀吉さん(49)に船を譲った後も漁具を手入れして漁を支えている。
よろん坂近くの住人は2世、3世に代替わりし、移住者は箕作さん一人になった。「親戚の家を回る正月は与論の言葉が飛び交ってにぎやかだった。島に溶け込もうと、必死に生きてきた。与論で厳しい暮らしを経験したから頑張れた」と話す。
ふるさとを離れて64年。今年は与論や奄美大島からのフェリーが屋久島に寄ることになった。「沖縄を見物して与論に帰り、屋久島に戻る旅を楽しみたい」とリツさん。箕作さんは「屋久島で飲む水のおいしさは格別。長生きするよ」と笑った。
(鹿児島総局)