復帰運動、後世へ 出身者ら「断食」追体験 当時の故郷に思いはせる 鹿児島市

2021年08月06日

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 【鹿児島総局】終戦後に日本から分離され米軍統治下に置かれた奄美群島での復帰運動を後世に伝えようと、県本土在住の奄美出身者らが4日、先人が復帰を願って行った「断食」を鹿児島市内の公園で追体験した。当時の語り部が少なくなり継承が難しくなる中、参加者は「日本復帰の歌」を歌って復帰運動に思いをはせ、後世へ語り継ごうと誓った。

 

 奄美群島が米軍統治下にあったのは1946年2月から53年12月まで。断食は復帰運動の先頭に立った泉芳朗が51年の8月1日から5日にかけ、旧名瀬市(現奄美市名瀬)の高千穂神社で行った。

 

 断食の追体験は、県本土在住の奄美出身者でつくるNPO法人「ほこらしゃの風」(義山哲文代表)が企画し、復帰60周年の2013年から8月4日に合わせて実施している。

 

 参加者は前日の3日夕から食事を取らず、4日早朝に集合。新型コロナウイルスや早朝の雨天が影響する中、約20人が集まり、戦時中や米軍統治下での体験談などを語り合った。

 

 復帰当時3歳だった鹿児島在住の清水茂子さん(71)=伊仙町面縄出身=は「復帰運動の様子は両親たちから教えてもらった部分が多いが、日の丸の鉢巻き姿の島民が自宅前の通りを行進していたことは鮮明に覚えている」と幼少期を振り返り、「私たちが聞いてきたこと、学んできたことをしっかりと若い人たちに伝えていきた」と話した。

 

 義山代表(70)は「奄美大島や徳之島の世界自然遺産登録など故郷の明るいニュースが伝えられる中で、日本から切り離されるという厳しい歴史があったことも広く知ってほしい。無血で復帰を勝ち取った地域の人々の結束力や運動の様子を風化させることなく、次代に語り継ぐことが大切だ」と訴えた。