武州丸撃沈から80年 有志40人が平和願い追悼 徳之島町
2024年09月22日
地域
太平洋戦争中に米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した疎開船「武州丸」の犠牲者を慰霊する「平和の夕べ」が21日、徳之島町亀徳のなごみの岬公園の慰霊碑前であった。島内の有志約40人が参加。80年前、戦禍で海に散った犠牲者148人の冥福を祈り、反戦への思いを新たにした。
島内有志でつくる武州丸と平和を考える会(幸多勝弘会長)が主催する恒例行事。2010年までは同会と遺族会の共催で慰霊祭を開催していたが、遺族の高齢化に伴い「平和の夕べ」に改称。新型コロナウイルス感染拡大の中でも毎年欠かさず開催してきた。
幸多会長はあいさつで「武州丸には当時0歳の子どもも乗っていた。もし生きていたら孫やひ孫に囲まれていたはず」と80年の月日の長さを強調し、「小さな島の草の根の平和運動だが、二度と戦争を起こしてはならないと伝え続けたい」と決意を新たにした。
町内の児童生徒6人も参加して焼香、献花で犠牲者を悼んだ。亀津小学校5年の竹山心彩さん、田中乃愛さんは「犠牲者のうち77人は子どもだった。どれほど怖い思いをして亡くなったのかと思うと心が痛む」「絶対に戦争はしたくない。平和な日本を守り続けます」と慰霊碑の前で誓った。
武州丸は本土に疎開する子どもらを乗せ航行していた1944年9月25日、十島村中之島沖で米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。徳之島町亀徳、井之川、山、尾母集落の学童や女性ら148人が犠牲になった。