沖縄の医療に尽くした平島医師の功績を後世へ

2018年01月15日

地域

 

沖縄の医療に尽くした平島医師の功績を後世へ

沖縄の医療に尽くした平島医師の功績を後世へ

戦前の沖縄で、貧しい農村の発展に尽力した喜界島出身の医師、平島國造さん(1885~1965年)の顕彰式典が13日、沖縄県南城市であった。地元住民や在沖奄美出身者のほか、東京に住む平島医師の親族らが駆け付け、その功績を後世に語り継ぐことを誓い合った。

 南城市大里の稲嶺区は平島医師の開業100年に当たる昨年11月、市の補助金などを活用して顕彰碑を建立した。式典は碑前で執り行われ、約30人が参加した。

 元区長で平島医師顕彰委員会の中村栄代表は「平島医師を知る人が少なくなってきた今、その功績を埋もれさせてはいけないと一念発起した」と経緯を報告。続いて、碑に刻まれた平島医師の業績を地元の中学生が朗読した。

 東京から出席した孫で医師の潤子さん(55)は「私たちも知らなかった祖父の功績を掘り起こしてくれた。顕彰碑の建立に携わった全ての方々に感謝したい」と謝辞を述べた。

 沖縄奄美連合会の奥田末吉会長は「奄美出身者として誇りに思う。こうして活躍しながらも、歴史に隠れた先輩たちがまだたくさんいる」と話し、戦前の沖縄で活躍した奄美出身者の掘り起こしに意欲を示した。

 平島医師は喜界島の旧早町村阿伝(現在の喜界町阿伝)出身。長崎医学専門学校を卒業後、鹿児島県立病院勤務などを経て1917年、旧大里村稲嶺(現在の南城市大里字稲嶺)で開業し、戦況悪化に伴い鹿児島に疎開するまで約30年間を同集落で過ごした。内科、外科問わずあらゆる年代の患者を治療したほか、井戸や便所など各戸の水回りに近代的な設備を導入し、疫病の原因となっていた劣悪な衛生環境を格段に改善。「衛生模範部落の父」とたたえられた。

顕彰碑の建立を喜ぶ区民と平島医師の親族ら(上)昨年11月に設置された顕彰碑=13日、沖縄県南城市の稲嶺構造改善センター

沖縄の医療に尽くした平島医師の功績を後世へ

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