津波警報で緊急生放送 あまみエフエム

2022年02月04日

地域

津波警報発令後すぐに緊急生放送を始め、避難を呼び掛けたあまみエフエムのやんごディ!スタジオ=1月16日午前0時半ごろ、奄美市名瀬(NPO法人ディ提供)

「迷わず逃げてください」。先月16日、津波警報発令から6分後の午前0時21分、奄美市名瀬に拠点を置くコミュニティーラジオ「あまみエフエム」の緊急生放送が始まった。予期せぬ緊急事態で詳細が分からない中、避難呼び掛けや行政発表、地域の声、有識者の見解などを迅速に発信し、対応に力を尽くした。それでも当時の放送スタッフは「(緊急時の生放送として)課題山積だ」と口をそろえる。

 

あまみエフエム(FM)の主要エリアは奄美市と大和村。NPO法人ディ(麓憲吾代表)が運営し、朝昼夕の生放送番組などで奄美に関する情報を発信している。今年5月1日に開局15周年を迎える。

 

災害対応にも力を入れ、2009年に奄美市と災害協定を締結。10年の奄美豪雨では発生から5日間、24時間態勢で放送を続けた。市は防災計画で同FM放送スタジオの被災を想定し、市役所にはスタジオを仮設できる場所も確保されている。

 

先月16日の警報は高さ最大3メートルの津波を予想。同FM放送スタッフは津波対応マニュアルに基づき、名瀬金久町の建物2階にある「やんごディ!スタジオ」に集合した。さらに高い津波が予想された場合は、市役所内にスタジオを仮設する計画だった。

 

「初めての経験で混乱し、自分を落ち着かせるのに必死だった」。やんごスタジオ近くに住むパーソナリティーの東蘭さん(27)は当時、携帯電話のアラーム音で飛び起き、寝間着に上着1枚を羽織っただけの姿でスタジオへ走った。

 

到着後、スタッフ数人で生放送を開始。「津波警報が発令されました」「高台などに避難してください」。既成の原稿を読み上げていると、先輩パーソナリティーの渡陽子さん(43)からいくつもの文言が携帯電話に送られてきた。

 

「海に近づかないで」

 

「立ち止まらず逃げて」

 

スタジオへ向かいつつ、東さんの放送を聞いていた渡さんは「(既成の文言は)丁寧過ぎるかもしれない。切迫感が伝わらないのではないか」と懸念した。東さん自身も渡さんから受信した文言に加え、テレビのニュースから聞こえる音声を伝えるなど工夫した。

 

話し手が渡さんに替わり、午前1時を過ぎると、各地から情報が入り始めた。大半は「渋滞で動けない」。リスナーに電話をつなぐと、誰もが同じ不安、不便を抱えている状況がより鮮明に浮かび上がってきた。

 

「避難を呼び掛ける段階で、屋外が寒く、暗いということを考慮しきれなかった。もっと避難者の状況に適した呼び掛けができたはず」と悔やむ渡さん。一方、リスナーからは「ラジオが聞けて安心した」との声も寄せられたという。

 

緊急生放送について、麓代表(50)は「課題山積。多くのスタッフが奄美豪雨時の放送を経験しておらず、手探りだった」と語る。

 

奄美大島でも津波を観測した東日本大震災(11年)当時と比べて「(今回の方が)明らかに避難者が多い。東北での甚大な津波被害を見て、『逃げる』意識が高まったのではないか」と麓代表。「車避難が目立った今回、ラジオの重要性も再認識した」という。

 

津波警報3日後の先月19日、放送スタッフで反省会を実施。確認事項や改善点を洗い出し、担当を決めて▽避難所リスト作成▽関係機関との連絡系統再構築▽避難呼び掛け文言の再検討│などを申し合わせた。

 

麓代表と渡さんがいまだに頭を抱えるのは、津波警報発令中に放送した有識者の見解。専門家は「生活圏への影響(被害)は小さい」と持論を述べたが、2人は「(公的に発信する情報としては)時期尚早だった気もする」と振り返る。

 

「経験は教訓として積み上げ、次に生かさないといけない。『情報がない』という不安解消には努めたいが、どの段階でどう発信するかはしっかり見極めたい」と麓代表。渡さんは「共感と助け合いを促し、安心につながる放送を目指したい」と語った。(西谷卓巳)