自衛隊機墜落から56年 くれないの塔で慰霊式 奄美市名瀬

2018年09月19日

地域

犠牲者の冥福を祈って献花する参列者=16日、奄美市名瀬のらんかん山(提供写真)

犠牲者の冥福を祈って献花する参列者=16日、奄美市名瀬のらんかん山(提供写真)

 救急用血液を輸送中の自衛隊機が奄美市名瀬で墜落し、13人の犠牲者を出した事故から今年で56年。現場となったらんかん山の「くれないの塔」で16日、慰霊式が行われた。主催者の奄美大島青年会議所(JC)をはじめ約60人が参列した。人々は花を手向け、惨事の記憶を風化させまいと心に刻んだ。

 

 事故は1962年9月3日、手術中の妊婦を救うため海上自衛隊鹿屋航空基地を飛び立った航空機が墜落。隊員12人と市民1人が亡くなった。

 

 慰霊式は奄美大島JC、海自第一航空群(鹿屋市)、県隊友会奄美支部連合会、市民らが出席した。自衛隊機が現地上空を慰霊飛行したのに続き、全員で黙とうをささげた。

 

 奄美大島JCの徳田太一理事長は「鹿屋から飛び立った隊員の思いを風化させないためにも、私たちは後世に伝えていく必要がある」と継承の意義を強調。第一航空群の川村伸一司令もあいさつした。

 

 参列者は献花、焼香してみ霊を慰めた。15、16日には恒例の清掃活動も行われた。

 

 事前の訓練飛行を見て塔の存在を知り、初参列したという名瀬中2年の常田流星さん(14)は「事故や関わった多くの人の思いを知って感謝の気持ちが芽生えた。来年も参加したい」と語った。

 

 事故翌年から実施された慰霊式は三十三回忌を期に一度途絶えたが、2005年に再開された。奄美市は人命救助のため尊い命をささげた犠牲者の行為を語り継ごうと、事故の起きた9月3日を「献血の日」と定めている。