自衛隊機墜落から57年、らんかん山麓で慰霊式 奄美市名瀬
2019年09月17日
地域
救急患者のために血液を輸送していた海上自衛隊の哨戒機が奄美市名瀬の通称「らんかん山」に墜落し、隊員12人、住民1人が犠牲になった事故から57年が経過した。奄美大島青年会議所は15日、らんかん山の「くれないの塔」周辺で慰霊式を行った。式には哨戒機が所属していた海自鹿屋航空基地第一航空群司令の川村伸一海将補ら約70人が参列し、追悼した。
事故は1962年9月3日午後4時55分ごろ、奄美市の名瀬港中央埠頭(ふとう)へ旋回しようとした海自のP2V対潜哨戒機が、超低空飛行のためらんかん山に墜落。乗っていた隊員12人が即死し、付近住民32世帯が炎上、115人が罹災した。当時の本紙報道によると、奄美市名瀬矢之脇町の住民8人が逃げ遅れ、うち1人が死亡した。
海自の哨戒機は県立大島病院に入院していた妊婦の手術に必要な血液輸送の依頼を受け、海自鹿屋航空基地を出発。当時、奄美に空港がなかったため、名瀬港中央埠頭へ血液を投下する予定だった。
奄美大島青年会議所は事故翌年から9月3日に慰霊式を行ってきたが、33回忌を機に一度途絶えた。しかし、自衛隊OBが慰霊の清掃を続けていたため、記憶を風化させないようにしようと2005年に再開した。
この日は、前日からの悪天候の影響もあり、らんかん山へは登らず、麓に「くれないの塔」の祭壇を設置。鹿屋航空基地からP1哨戒機が慰霊飛行を行った。川村司令は「今も離島へ年間30件ほどの急患搬送などを行っている。57年前の事故の経緯や得られた教訓は、今後も大事に隊員に引き継いでいきたい」と話した。