西郷菊次郎の人となりに触れ さつま町でバスツアー

2018年04月04日

地域

トロッコ道鉄橋の橋脚跡で菊次郎の功績を学ぶ奄美出身者=1日、さつま町

トロッコ道鉄橋の橋脚跡で菊次郎の功績を学ぶ奄美出身者=1日、さつま町

 「もう一人の西郷(せご)どん~菊次郎の足跡をたどって」と銘打ったバスツアー(同実行委員会主催)が1日、さつま町であった。県本土で暮らす奄美出身者ら36人が参加。西郷隆盛と愛加那の長男で龍郷町出身の菊次郎(1861~1928年)が8年間鉱業館長を務めた永野金山の遺構を巡り、古里の先人の功績に触れた。

 

 菊次郎は8歳まで龍郷で育ち、西郷本家に引き取られた。台湾の宜蘭(ぎらん)庁長や京都市長を経て52歳で永野金山の鉱業館長に就任。60歳までの8年間、設備の近代化や青少年の育成に力を尽くした。

 

 バスツアーはNHK大河ドラマの放送にちなみ、鹿児島龍郷会などが企画した。参加者は鉱石を運んでいたトロッコ道鉄橋の橋脚跡や金山の坑口を回り、操業時に思いをはせた。

 

 ガイドを務めた黒田敏隆さん(76)の父清武さんは菊次郎が自費を投じて開いた夜学校の卒業生。祖父の松次郎さんは菊次郎を馬車で送迎していた。

 

 黒田さんは7男7女に恵まれた菊次郎の人となりに触れ、「子煩悩で住民からの信頼も厚かった。多くの人に惜しまれて永野を後にした」と紹介した。

 

 隆盛が過ごした龍郷集落出身の中江均さん(83)=鹿児島市=は「西郷さんは体が大きく、相撲を住民とよく取っていたという」と地元ならではのエピソードを語った。一行はサクラの名所にも寄り、島唄を歌ってにぎやかな花見を楽しんだ。

島唄を歌って花見を楽しむ参加者=1日、さつま町

島唄を歌って花見を楽しむ参加者=1日、さつま町