軽視された命、触れて感じて! 瀬戸内町埋蔵文化センターに「震洋」模型寄贈 部隊配備80年で 姶良市の海田悟史さん
2024年09月24日
地域
旧日本海軍が太平洋戦争末期に開発した水上特攻艇「震洋」の10分の1模型が13日、元海軍飛行予科練習生だった藤山益夫さん(享年92)の孫・海田悟史さん(30)=姶良市=から瀬戸内町埋蔵文化センターに寄贈された。今年11月、瀬戸内町に震洋隊(第17、第18、第44)が配備されて80年を迎えることから、寄贈先に同センターが選ばれた。
名称に「太平洋を震撼(しんかん)させる」という意味が込められた震洋は、全長5メートルほどのベニヤ板製の小型艇で、約250キロの爆薬を積んで敵艦に体当たり攻撃を仕掛ける兵器として、終戦前の1944年から45年にかけて6千艇余りが製造された。米軍から「Suicide Boat(自殺ボート)」と呼ばれ、2500人にも上る若者が犠牲になったとされる。
寄贈された模型は、岡山県倉敷市の基地で震洋の特攻訓練を受けたという藤山さんが、戦友会会長を務めていた時に制作者から託されたもの。5型艇(指揮官機)が本物と同じ材料で再現されており、水冷エンジンや制御装置などの細部までリアルに仕上げられている。長さ約70センチ、幅20センチ、高さ30センチ。
藤山さんは生前、模型を大切に保管し、誰にも触らせなかったという。海田さんも3年前に藤山さんが亡くなり、祖母から遺品整理の相談を受けて初めて手に取ったそうで、「ベニヤ板の薄さや簡素な造りに衝撃を受けたのと同時に、いかに人命が軽視させていたかが伝わってきた」と振り返る。
寄贈にあたり、模型に触れられるような展示や活用方法を同センターへ申し入れた海田さん。「戦争の狂気や不条理さを唱えたかったであろう制作者、秘密兵器ゆえに戦後も明るみに出ないむなしさを抱えながら保管してきた祖父の胸中など、自身が実際に触れて体感したことを多くの人にも伝えたい。次世代へ『平和』が紡がれることを願う」と語った。