日ごろの心構え大切 原発事故きっかけに移住 龍郷町の藤井菊美さん

2022年03月11日

地域

震災・原発事故をきっかけに奄美に移住した藤井さん=10日、龍郷町幾里

2011年3月11日の東日本大震災からきょうで11年。震災・原発事故をきっかけに茨城県から奄美大島へ移住した藤井菊美さん(49)は現在、夫の勝さん(55)、長女の菫さん(16)と龍郷町幾里に暮らす。当時を振り返り「万が一のための心構えや準備を普段からしておくことが大切」と語った。

 

家族と茨城県取手市に暮らしていた藤井さんは震災当日、病院にいた。幼稚園生だった菫さんがインフルエンザで体調を崩したためだ。待合室で順番を待っていると、立っていられないほどのひどい揺れが発生。棚から落ちた物が散乱し余震が続く混乱の中で診察を受けた。

 

地震と津波の影響で、福島県にある福島第一原子力発電所では核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」と水素爆発が発生。放射線物質が外部に漏れ出す重大事故となった。福島県の隣に位置する茨城県でも、放射能汚染に対する不安が高まっていた。

 

原発事故による汚染についてニュースなどで知り、菫さんへの健康被害を心配した藤井さんは、自然と調和できる環境を求めて奄美大島に家族での移住を決意。震災から1年後の12年3月に来島した。

 

奄美市名瀬で新生活を始めた藤井さんは、趣味のものづくりを生かし、ハンドメードのイベントやワークショップなどを開催。多くの人と交流し、つながりを広げた。

 

5年前からは龍郷町に住まいを移し、休耕田を活用したマコモ栽培を開始。葉を加工したマコモ茶を販売するほか、集落のコミュニティーセンターでマコモ祭りを開くなど、普及に取り組んでいる。

 

今年1月16日、トンガ諸島付近で起きた海底火山の噴火により奄美群島でも津波警報が発令された。未明に鳴り響いた警報の音にいち早く反応したのは菫さんだった。藤井さんは「小さかったが、あの時の音が耳に残っていたのだと思う。私は3・11から時間がたち少し気が緩んでいたが、当時のことがよみがえり慌てて避難した」と語った。

 

警報をきっかけに幾里集落では、避難ルートの確認や万が一の時の対応などについて話し合いが行われ、地域住民の防災意識が高まったという。藤井さんは「奄美の人たちはもともと自然との向き合い方が上手。地震や津波に関しても自然に起こることとして普段から心構えをしておくべき」と話した。

 

移住から今年で10年。地域に溶け込み、奄美の自然に囲まれて暮らす藤井さんは「自然と共存できる今の生活はとても幸せ。震災で落ち込んでいたところを奄美に救われた。今後も奄美での生活を続けていくつもり」と笑顔で語った。