紬柄のルーツ探る 内山さんが研究発表 島ぬ宝 龍郷柄展

2020年11月30日

地域

龍郷柄展で柄の成り立ちについて発表した内山さん(右)=29日、奄美市名瀬

龍郷柄展で柄の成り立ちについて発表した内山さん(右)=29日、奄美市名瀬

  本場奄美大島紬の柄のルーツを探る展示会「島ぬ宝 龍郷柄展」が28日から、奄美市名瀬の結の島(奄美観光ホテル向かい)で開催されている。29日は主催者で鹿児島大学国際島嶼(★とうしょ)教育研究センター2019年度客員研究員の内山初美さん(68)が「龍郷柄の成り立ちと変遷」と題し研究発表。文献や古い反物などから「風車柄が発展して龍郷柄が生まれたと考えられる」と語った。展示会は12月6日まで。無料。

 

 内山さんは40代半ばで大島紬に関心を持ち、2006年に奄美市名瀬で紬関連ショップ「あまみ~る」を開店。島内外へ魅力を発信する傍ら、龍郷町誌歴史編(1988年発行)に記載されている「風車の柄がソテツ葉と呼ばれる模様を生み、龍郷柄の基礎となった」という説を基に独自に研究を進めてきた。

 

 会場では内山さん私物の龍郷柄の着物19点、はぎれ40枚のほか、本場奄美大島紬を模して全国で作られた着物や端切れなど150点以上を展示している。手くくりで絣(かすり)糸を作っていた明治中期ごろの柄のサンプル集や手書きの図案など、大島紬に関するさまざまな資料も並べた。

 

 内山さんは、研究発表で大島紬の柄の移り変わりを示しながら①風車の名が付いた柄が明治中期には存在している②明治40年ごろの締機の発明で絣模様が細かくなる③風車柄からソテツ葉模様が生まれ龍郷各集落で発展、仲買人らが龍郷柄と呼ぶようになる④大正時代に龍郷で「スミ千代柄」と呼ばれる柄が登場し、現代の龍郷柄のイメージが定着する│と説明。

 

 「近年の『ソテツに乗り移るハブから考案された』という説は古い文献では確認できず、2003年ごろに世界自然遺産登録への機運が高まるにつれ普及したのでは」とし、「大島紬は時代ごとに変化しながら素晴らしい柄を生み出してきた。源流を探ることで新しい発見もあるのではないか」と語った。

 

 会場には龍郷柄の着物姿で訪れる人や、自宅の反物や資料などを持参する人もおり、あちこちで大島紬談義に花が咲いた。午後はアダンの葉で風車を作るワークショップも開かれた。

 展示会の時間は午前10時~午後5時(最終日は午後3時)。研究発表は12月2、5、6日の午前11時~正午にも実施する。

 問い合わせは電話080(1726)5029内山さん。