こうじのうま味が伝わった 黒糖焼酎富田酒造場の富田会長 伝統的酒造り世界遺産
2024年12月06日
社会・経済
奄美黒糖焼酎を含む「日本の伝統的酒造り」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。どのような点が評価されたのか、数多い酒の中で黒糖焼酎の特徴は何か。メーカーの一つ富田酒造場(奄美市名瀬入舟町)の富田恭弘会長(67)に聞いた。
■無形文化遺産登録、どのような点が評価されたのか
「こうじを使った酒造り。日本独特ですからね。フランスの人などにも、こうじのうま味の魅力というかこうじが生み出す余韻のある酒の面白さが伝わったのだろう。地域地域で酒造りは進化し、その地域に合った酒造りが発展していった。地域文化とのつながりも深いからね。素材のうま味を引き出す「和食」に続く、食文化の無形文化遺産登録。日本にとって誇らしいことだと思う」
「黒糖焼酎の場合、高温多湿な所で安定して健全なアルコール発酵を得るためには米こうじのクエン酸が必要だった。クエン酸は、ほかの雑菌が入ってきたときやっつけてくれる働きがある。それがないと安全な酒造りはできなかった。先人は安全に造ることを一生懸命考えたんだろうと思う。そこにも文化的な価値を感じる」
■さまざまな酒がある中で、黒糖焼酎の特徴は
「黒砂糖は時代時代に翻弄(★ほんろう)されながら造り続けられてきた。戦後、米軍統治下になって、島の人たちが自由に使えるようになり、そこで世界一高い原料を使った酒造りが進んだ。泡盛の造り方がベース。そこで、どうしても黒糖を使わなければならない事情があった。まず米が貴重だったということ。もう一つは黒糖を外に出すのが難しかったこと。原料のサトウキビはあり、毎年収穫できるが、商品の黒糖は売れず農家も仲買人も製糖工場も、苦しいわけだ。そういう中で、少しでも島の経済を回そうとしたんじゃないか。恩恵を受ける人が増えれば、飲んでくれる人が増える。生活の足し程度だったのだろうとは思う。米軍政下では大島紬も黒糖も外に出すには関税がかかり、為替差損もあった。島の黒糖はものすごい価値があったが、買い手がつかなくて滞留していた。合法的に出す方法はあったようだが、出したとしても買う側はかなり高額だったようだ」
■無形文化遺産登録で期待することは
「世界の人に面白い酒だなと思われるような、そういう資質の酒を造り出していかなければならない。そういう酒はあるが、ボリューム(量)が足りない。スコッチは世界的な酒だが、現地では5年以上貯蔵しないとスコッチと名乗れない。実際世界に出ているのは8年、10年、12年という酒。そういううまい酒を出さないと、ストレートには理解されないのではないか」
■留意すべき点はあるか
「当然だが、ちゃんとした酒を造らなければならない。造り方もそうだが、特に原料には気を配るべきだろう」
(聞き手・佐藤正哉)
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富田酒造場 恭弘さんの父豊重さんが米軍政下の1951年、現在地で創業。恭弘さんは55歳で兄和男さんから引き継いだ社長の職を、65歳で長男真行さん=現在(40)=に託し、会長に。同社は仕込みで、容量540リットルの三石甕(さんごくがめ)を使い続けている。代表銘柄「龍宮」。