地道な活動実り根絶達成 南海文化賞のマングースバスターズ 今後も外来種侵入に警戒

2024年11月02日

社会・経済 

マングース根絶の宣言発表後、喜びを分かち合う奄美マングースバスターズのメンバーと松田維所長(左端)=2024年9月3日、奄美市名瀬

第45回南海文化賞を受賞した奄美マングースバスターズ(AMB)は、特定外来生物マングースの専従捕獲者チームとして2005年7月1日に結成。奄美大島で防除事業の中心を担い、日々森に分け入ってマングースの捕獲作業に当たった。環境省は24年9月3日に島内全域での根絶を宣言。1993年の捕獲事業開始からの捕獲総数は約3万2千匹で、陸域総面積712平方キロという広い範囲で長期間定着したマングースの根絶例としては世界初という。

 

改良を重ね完成した筒わなを設置するバスターズのメンバー=2012年5月、奄美市住用町

環境省などによると、奄美大島のマングースは1979年ごろ、沖縄から持ち込まれたものが奄美市名瀬で放され定着した。沖縄ではかつてハブやネズミ類の対策のために導入された歴史があるが、奄美大島ではアマミノクロウサギやアマミヤマシギ、昆虫類やカエルなど希少な固有種を捕食しながら森林内まで生息域を拡大。ピーク時の2000年には推定約1万匹まで増えた。

 

地元自治体による捕獲が1993年に始まり、環境庁(当時)も事業調査などを経て2000年から本格的な駆除作業を展開。05年6月施行の外来生物法でマングースが特定外来生物に指定されたことを受けAMBが発足すると、同省から防除事業を受託する一般財団法人自然環境研究センターのプロジェクト専門職員として全国各地から集った12人が雇用された。

 

森の中に定着したマングースを捕獲するため、活動はわなを設置する道づくりから始まった。メンバーは事務所で地図を広げ、古い林道や尾根沿いに深い森の中へ。険しい地形や暑さ、ハブやハチなどの危険生物に悩まされながらも「わなルート」と呼ぶ道を切り開いた。

 

当初、マングース用のわなは存在せず、既存のイタチわなを改良して使用。試行錯誤を繰り返してさらに改良を重ね、奄美大島の環境に対応したわなを開発した。07年には海外先進地を参考に探索犬も導入し、捕獲数が300匹を下回った11年度以降は特に探索犬の発見による捕獲が大きな効果を発揮した。捕獲作業と並行して地元の児童生徒や住民らへの教育活動にも力を入れた。

 

結成から24年10月末までに、全国各地から延べ124人がメンバーとして活躍。現在も8人が在籍し、森の中のわなの撤去作業に従事している。また、初期メンバーの一人は相棒の探索犬と共に沖縄へ移住してやんばる(沖縄島北部)でマングース防除に取り組むなど、長年の経験と専門知識を生かした活動が広がっている。

 

マングースの根絶宣言後も、防除事業は完了していない。今後も再侵入と別の外来種侵入への備えを進めるほか、モニタリング調査のためにこれまでバスターズが管理してきた自動撮影カメラも継続するという。山中の記録は在来種の回復状況を確認するためにも重要な資料で、関係者は保全や生態研究などへの活用を期待している。

 

自然研究センター奄美大島事務所の松田維所長(55)は「メンバー一人一人が島の自然を元に戻そうと真剣に取り組んできた。マングースの根絶達成の要因は、とにかく人材に恵まれたということに尽きる。この先も沖縄からの再侵入などに警戒しながら迅速に対応していく」と語った。