対馬丸の犠牲者に祈り 船越海岸で第7回慰霊祭 宇検村宇検
2023年08月27日
社会・経済
太平洋戦争中、沖縄から長崎へ向かう途中にトカラ列島の悪石島沖で米軍の潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者を弔う「対馬丸慰霊祭」が26日、宇検村宇検の船越(ふのし)海岸の慰霊碑前で行われた。地元住民のほか、沖縄県から照屋義実副知事や対馬丸記念館関係者が参列。一同は79年前の事件を思い黙とうし、犠牲者を追悼した。
「対馬丸」は1944年8月21日に沖縄の国民学校の児童ら1661人を含む約1800人(判明分)を乗せ那覇港を出港。翌22日に悪石島沖で魚雷攻撃を受けて沈没した。対馬丸記念会によると、少なくとも児童784人を含む1484人が犠牲になった。
一部の生存者や遺体は宇検村や大和村、瀬戸内町にも漂着。船越海岸には2017年に慰霊碑が建てられ、毎年8月に慰霊祭を行ってきた。今年は7回目。
慰霊祭に参列した照屋副知事は「地元の方には感謝の思いでいっぱい。あれから79年。皆さんの思いを引き継ぎ、『新たな戦前』とならないよう平和を構築していきたい」と話した。
慰霊祭の後、宇検集落の防災会館で対馬丸記念会の嶋田玲子理事が対馬丸事件についてスライドを用いて解説。当時学童らが身に着けたという救命胴衣や、事件後に回収され遺品となったランドセルの写真などが紹介された。
解説を聞いた久志中2年の福山芽衣さん(13)は、「当時の救命胴衣を初めて見た。今のものとは比べものにならない」と驚いた様子。宇検集落の津田直隆区長(69)は「当時かん口令が敷かれていたため、長い間宇検集落でも事件について語る人がいなかった。これからも慰霊祭を続けていけるよう若い世代に語り継いでいきたい」と話した。