海自機墜落から61年 くれないの塔慰霊式典 奄美市名瀬
2023年09月04日
社会・経済
輸血用血液を輸送していた海上自衛隊の哨戒機が名瀬市(現・奄美市名瀬)の「らんかん山」に墜落し13人が犠牲となった事故から61年となる3日、奄美市の名瀬小学校体育館で犠牲者を追悼する慰霊式典があった。参列者は黙とうや献花を通じて犠牲者の冥福を祈るとともに、事故を語り継ぎ命の尊さを伝えていく決意を新たにした。
事故は1962年9月3日午後4時55分ごろに発生。急患用血液を輸送中の海自第1航空群(鹿屋航空基地)所属P2V対潜哨戒機が、血液投下地点の名瀬港中央埠頭(ふとう)へ向けて低空飛行で旋回中、機体の一部がらんかん山の中腹にぶつかり墜落し、炎上。搭乗員12人が死亡したほか、民家などにも延焼し逃げ遅れた住民1人が死亡した。当時、奄美大島に空港はなかった。
式典は奄美大島青年会議所(太勇太理事長)主催。自衛隊や市内の関係者、一般市民ら40人余りが参列した。開式を前に午前10時ごろ、同基地所属の哨戒機P―1が慰霊飛行で名瀬市街地上空を通過した。
式辞で同会議所の太理事長は「惨事を風化させないために、これからも語り継ぎ、献血の重要性と命の尊さを伝えていく」と決意を新たにした。追悼の辞では、安田壮平奄美市長と海自第1航空群司令の大西哲海将補があいさつ。大西海将補は「凄惨(せいさん)な事故を繰り返さないよう、基地内で当時の事故の経緯と、その後の地元住民との心のつながりを教育している」と述べた。
式典後、献花された花はらんかん山の事故現場付近に建てられた「くれないの塔」に移動された。関係者らは焼香し、当時に思いをはせた。
輸血用血液は、台風などで航空路欠航時に県本土から入荷できないなど、今なお離島医療の課題となっている。奄美市では95年から9月3日を「献血の日」と定め、献血運動を展開している。