沖縄復帰、非琉球人語る 「5・15」に復帰記念碑訪問 与論2世の青山さん
2025年05月16日
社会・経済

奄美の復帰記念碑を訪ねた青山さん=15日、奄美市名瀬おがみ山公園
15日は沖縄の本土復帰の日。「5・15」に合わせて奄美市名瀬おがみ山公園の復帰記念碑を訪ねた沖縄在住の与論2世がいる。青山惠昭さん(81)=沖縄県浦添市=がその人。青山さんは「『5・15』は非琉球人として制度的差別、偏見を受けた奄美出身者が解放された、喜びの日でもある。53年目の沖縄復帰の日に奄美の復帰記念碑を訪ねることができた。感慨深い」と話した。
青山さんは2021年、戦後、台湾で起きた「台湾二・二八事件」の真相に迫る「蓬莱の海へ」を出版した。与論出身の父親は事件に巻き込まれて失踪した。本書は事件と合わせて奄美・沖縄・台湾のはざまで漂流した家族の軌跡を描き、同時に奄美の日本復帰とともに「非琉球人」となった奄美出身者の苦難も証言した。
非琉球人は公職追放や銀行の融資が受けられないなど、さまざまな差別、制約を受けた。青山さんは父親の失踪後、母親の古里(沖縄・国頭村)に身を寄せた。本籍が与論だっため、非琉球人となった。母親が病に倒れた際、「救済」(生活保護)を申請するも、米国民政府は非琉球人を理由に拒否した。周囲の支えで生きていけた。
事件が起きれば「またオーシマー(大島)がやった」「ユンヌー(与論)は密航者の島」とさげすまれたことも。沖縄本島と与論の間にある北緯27度線。人為的に引かれた国境が分断を深めている。青山さんは心を痛めた。琉球大学進学後、沖縄の復帰運動が本格化し、〝国境〟を挟んで沖縄の復帰を支援する海上集会が1963年から開かれるようになった。64年は青山さんも参加し、「沖縄を返せ」を歌った。
本書は2022年、沖縄の復帰50周年の際、非琉球人にスポットが当たるきっかけをつくった。沖縄県は現在、沖縄県平和祈念資料館(糸満市摩文仁)のリニューアルを進め、展示内容も見直し、非琉球人問題や台湾に疎開した人々にも目を向けるとみられる。資料館の元運営委員の青山さんも意見を求められた。
青山さんは琉球政府の泉有平元副主席をはじめ出身者を救うために尽力した先人を忘れない。復帰記念碑を前に語った。「沖縄の復帰前の奄美のことはタブー視されている。沖縄の人たちもそうだし、奄美の人もそう。それではいけない。奄美人のリーダーの遺志を引き継いでいきたい」