県本土で夢を追う 輝く奄美出身者(下)

2018年11月09日

地域

◆大島紬製造、親子二人三脚 永長正樹さん、祐樹さん(大和村出身)

 

大島紬の織機に向かう正樹さん=10月11日、鹿児島市

大島紬の織機に向かう正樹さん=10月11日、鹿児島市

 カシャン、カシャン、カシャンと響くリズミカルな機械音。鹿児島市新栄町の工場には大島紬の伝統を守りつつ、新たな可能性を探る親子がいる。奄美大島大和村大金久出身の永長(ながおさ)正樹さん(56)と次男の祐樹さん(25)。未来の産地づくりを見据える活動は、業界の異端児のような存在だ。

 

 正樹さんは小学生のころ鹿児島市へ移り、父親は織物工場の責任者を務めていた。兄も織元を営む紬一家。正樹さんは家業を手伝う中で一通りの工程を覚えた。

 

 京都府の呉服卸会社で12年間経験を積み、2013年に独立した。工場では主に機械で織った加工用の生地を生産している。後継者不足で織元の廃業が続き、生産が注文に追い付かない時期もあった。

 

 そこで正樹さんが力を入れたのが仕事を効率化することだ。1反を仕上げるのに1~2カ月かかる手織りに対し、機械は2日で1反。「伝統に新しい要素を加え、時代のニーズに合ったものを作る努力が求められる」と若者も積極的に雇っている。

 

 本業の紬生産の傍ら新たなプロジェクトも実現させた。綿の栽培から紡績、草木染、織りまで全ての工程を手掛け、「さつまの綿プロジェクト」と名付けた。和装の裾野を広げようと子どもたちに綿の栽培を体験してもらい、若手職員のアイデアを次々と取り入れた。

 

 青い海や空をイメージした織物作りには「奄美の海で遊んだ思い出が生きている」と正樹さん。作品は県のコンクールでも高く評価され、注目を集めた。

 

「伝統工芸の魅力を若者に伝えたい」と話す祐樹さん=10月11日、鹿児島市

「伝統工芸の魅力を若者に伝えたい」と話す祐樹さん=10月11日、鹿児島市

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 正樹さんを支える祐樹さんは鹿児島大学を卒業し、一度は福岡県の大手企業に就職した。消費者のきもの離れで斜陽産業ともいわれる紬業界。家業を継ぐことは頭になかったが、正樹さんのプロジェクトを手伝うため昨年4月に鹿児島へ戻った。

 

 持ち前の好奇心で技術を吸収し、伝統工芸の魅力を若者に伝えようと奮闘している。「本来の大島紬はカジュアルなきもの。段階を踏んで和服に親しみ、最終的には手織りの紬を手に取ってくれたらうれしい。付加価値を高め、いいものはいいものとして売っていきたい」と目を輝かせた。

 

◆12年越しの夢、料理で奄美を発信 牧真理子さん(瀬戸内町出身)

 

「奄美を発信する店にしたい」と話す牧さん=10月17日、鹿児島市

「奄美を発信する店にしたい」と話す牧さん=10月17日、鹿児島市

 いらっしゃいませ―。カウンターの向こうから笑顔で客を迎えるのは奄美大島瀬戸内町蘇刈出身の牧真理子さん(32)=鹿児島市。8月にオープンしたばかりの「天文館かごしま横丁」で奄美料理店「暦(こよみ)」を営む。

 

 かごしま横丁は席を移動せずに8店舗の料理が楽しめる話題のスポット。出店費用を抑えて若手料理人らの挑戦を後押しする試みだ。牧さんは選考に受かり、チャンスを射止めた。

 

 自分の店を出したいと思うようになったのは大阪で暮らしていた20歳のころだ。資金をためるため、さまざまな仕事を経験。結婚を機に夫正太さん(37)の古里・曽於市へ引っ越してからも、決意は揺るがなかった。

 

 現在は鹿児島市内で単身赴任の身。家庭と仕事の両立で葛藤する時期もあったが、「好きなことにチャレンジしたいという気持ちを理解してくれてありがたい」と家族への感謝を惜しまない。

 

郷土料理の鶏飯をアレンジした「鶏飯フォー」や豚の角煮

郷土料理の鶏飯をアレンジした「鶏飯フォー」や豚の角煮

 12年越しで実現した店では定番の奄美料理にアレンジを加えた一品も。旧暦を大切にする島の暮らしが好きになり、店名にも取った。「何歳になっても奄美は心の古里。田舎で育って良かった。ルーツの奄美を発信する店にしたい」と話した。