線状降水帯発生から1カ月 土石流 爪痕生々しく ボランティア1千人協力 瀬戸内町久慈

2023年07月20日

社会・経済 

撤去された流木や土砂が運び込まれている旧久慈小中学校グラウンド=18日、瀬戸内町久慈

梅雨前線に伴う線状降水帯の影響で、奄美大島南部が記録的な大雨に見舞われてから1カ月。日本各地でも線状降水帯の発生が相次ぎ、人的被害を含め悲惨な状況が日々報道されている。山から大量の土砂が流れて下り、大きな被害が出た瀬戸内町久慈集落(61世帯、92人)は現在どうなっているのか。18日、現地を訪ねた。(柿美奈)

 

大きな岩や流木が大量に流れ込んだ土石流の爪痕が残る広野裕介さんの果樹園=同

ピーヒョロロロ―。人けのない旧久慈小中学校のグラウンドにアカショウビンの鳴き声が響く。普段はのどかなこの場所に、集落から撤去された大量の流木や土のうが運ばれ、埋めつくされていた。よく見ると直径60センチもの大木が根元から泥付きで積まれている。これが家屋を襲っていたのかもしれないと思うとぞっとする。

 

昼間、集落に人影はほとんどなかった。災害時に浸水した路地は水が引いた後も泥が大量に残っていたが、きれいに取り除かれ元のアスファルトが出ていた。盛りを過ぎたサルスベリが路面に散り、穏やかな日常が戻ってきているのを伝える。

 

被害の大きかった集落西部の農道へ向かうと、こちらもきれいに土砂は取り除かれていた。道路脇にわずかに堆積する泥や枯草だけが、ここが「川」と化すほど大量の土砂が流れてきた痕跡を残していた。

 

目を疑う風景が広がっていたのはその先だった。雨水を大量に含んだことで盛り上がって裂けたアスファルト、土石流で引きちぎられた金網、倒れた電柱、むき出しのワイヤ│。自然の破壊力のすさまじさを目の当たりにした。

 

広野裕介さん(37)の果樹園に入ると、高さ3メートルのビニールハウス3棟が、鉄骨のパイプごと土砂や流木でへし折られ、土砂に埋まっていた。全壊した1棟が顔を出していたのはわずか1・5メートル。下半分は埋まっていることになる。

 

宇検村佐念集落と隔てる冠岳を見ると、頂上部分に大規模な土砂崩れが見えた。そこからつながっていると見られる広野さんの果樹園には、約300メートルにわたって大量の土砂と岩が流れ込み、中には重さ30~40トンはありそうな小屋ほどの大きさの岩が流れついていた。もしここに人がいたり民家があったらと思うと足がすくんだ。

 

「もはや人力のレベルでは復旧できない」。広野さんは言葉少なに語った。この場所は3~10年は使うことはできないという。タンカン栽培を夢見て移住を決め、土づくりからこだわってきた大切な場所だった。「もう一度事業計画を練り直す」と自らを奮い立たせていた。

 

武田政文区長(79)によると、災害復旧に要した日数は約8日間。1日200人ものボランティアが来てくれたこともあり、延べ人数は1千人にも上るという。

 

義援金などの支援も多く寄せられた。関東に住む久慈出身者からは「大好きな故郷がこのような災害に見舞われ何より寂しい。遠く離れているが心の中では今も久慈住民。一日も早い復旧を」というメッセージも寄せられた。商店や自動販売機もほとんどない久慈集落で、飲料など物品の差し入れも非常に重宝したという。「差出人が分からない差し入れも多く、感謝を多くの人に伝えたい」と話す。

 

今懸念しているのは二次災害だ。川沿いに土のうを積んで水路を確保し、集落に氾濫してこないような対策を願っている。

 

「豊年祭はもうできないだろう。でもクガツクンチ(旧暦九月九日)は、厄払いも兼ねた集落行事を復活させたい」と武田区長。慈しみを尊ぶ集落で、災害を乗り越える取り組みが続いていた。