強烈な「反自衛隊」 沖縄の苦しみに耳傾け 奥田末吉さん(78)=中

2022年05月16日

社会・経済 

自衛隊に入隊したころの奥田さん=1960年代

「自衛隊は帰れ!」

1972年5月18日。沖縄が日本に復帰した3日後、奥田末吉さん(78)=糸満市、龍郷町出身=は陸上自衛隊沖縄移駐の第1陣(先遣隊)として那覇空港に降り立った。当時の那覇空港は米空軍基地。返還に向け引き継ぎ途中だった。フェンスの外側では激しい抗議デモ。奥田さんらは機動隊が警備する中を移動した。3カ月間は外に出られなかった。

 

大島高校在学中、道路敷設工事をしていた自衛隊員を見て憧れた。「国民の生命財産を守るという崇高な使命。将来は海外協力にも行けるかもしれない」。64年に入隊した。

 

熊本や茨城などに赴任。日本復帰間近の沖縄に部隊ができると聞き、志願した。「いつ出発するかは僕たちにも極秘。右側通行の運転練習をして備えた」

 

「自衛隊配備阻止」「安保廃案」-。地上戦で悲惨な体験をした沖縄の人たちは「自衛隊は軍隊であることに変わりはない」と激しい反対運動を起こしていた。本土復帰を経て、過激派学生らのグループも続々と沖縄入り。ゲバ棒や火炎瓶が使用され、警備の警察官が殉職するという事件にまで発展した。

 

隊員個人に対しても刃は向けられた。住民登録の拒否やアパートへの入居妨害、同僚の中にはタクシーに乗っていて自衛官と分かると降ろされることもあったという。子どもの入学を拒否されたりスポーツ大会への参加や成人式への参加も拒まれた。

 

「なぜここまで自衛隊を嫌うのか、きちんと沖縄を理解しないといけない」。奥田さんは一から沖縄の歴史を勉強した。

 

明治時代に琉球王国を併合した「琉球処分」への不満。国内唯一の地上戦で焦土と化し県民の4分の1が犠牲となった凄惨(せいさん)な沖縄戦。27年間も米軍政下に置かれた苦しみ。「沖縄の人は真っ先にそういう思いを体験していた。戦争は嫌だと思うのは当然。自衛隊イコール戦争と思う人たちもいる」。暮らしながら、沖縄の人の気持ちを思いやった。「その苦しみや心情は体験した沖縄の人にしか分からない」

 

沖縄で暮らす以上、常に自衛官であることを自覚し、そして沖縄県民であることも意識して人々と接してきた。自分たちを受け入れた糸満市のおおらかさにも助けられた。

 

復帰から50年となった今年、地元紙に掲載された県民世論調査に驚いた。「自衛隊を信頼していますか」の問いに対し、35%が「信頼している」、47%が「どちらかと言えば信頼している」と回答。「信頼していない」と回答したのはわずか5%だった。

 

4月、那覇市議会は「復帰50年に際し任務遂行に対する感謝決議」を賛成多数で可決した。50年の歳月は沖縄県民の意識を大きく変化させた。

 

今もいろんな考えや意見はある。「大事なのは沖縄が歴史的に置かれてきた状況を理解し、一人ひとりが自分の考えをもつということ」。退官後も常に肝に銘じている。